震災孤児を支える、陸前高田の高橋怜奈さん:悲しみを力に変えて

東日本大震災で母を亡くした高橋怜奈さん(23歳)は、今、同じ境遇の子どもたちの学習支援に情熱を注いでいます。陸前高田市で育ち、震災の深い悲しみを経験した彼女が、どのようにしてその経験を力に変え、未来への希望を見出したのか、そのストーリーをご紹介します。

震災の悲劇と心の葛藤

2011年3月11日、小学3年生だった怜奈さんは風邪で自宅療養中でした。仕事に出かける母・貴子さん(当時46歳)に「行かないで」と駄々をこねたのが、最後の会話になるとは想像もしていませんでした。貴子さんは市民体育館の避難誘導中に津波に巻き込まれ、帰らぬ人となりました。

高橋怜奈さんが幼い頃に母と遊んだ砂浜を歩く姿高橋怜奈さんが幼い頃に母と遊んだ砂浜を歩く姿

母にべったりだった怜奈さんにとって、この喪失はあまりにも大きなものでした。人形劇の舞台を見に行ったり、兄の野球の試合を一緒に応援したり、楽しい思い出が鮮明に蘇る一方で、深い悲しみに押しつぶされそうになりました。悲しみを隠そうと感情を抑え込むうちに、心は次第に疲弊していきました。

不登校と再生への道

中学時代、怜奈さんは心のバランスを崩し、不登校になりました。2年生、3年生の頃はほとんど学校に通えず、母の死を言い訳に、未来への希望を見失っていました。通信制高校への進学を決めた後も、勉強への意欲は湧きませんでした。

しかし、そんな怜奈さんを支えたのは、周りの温かい存在でした。家族、友人、先生たちの励ましによって、少しずつ前を向けるようになり、高校卒業後は東京の大学へ進学。新たな環境で、彼女は自分自身の未来を切り開く決意を固めました。

同じ悲しみを持つ子どもたちのために

大学卒業後、怜奈さんは故郷の陸前高田市に戻り、一般社団法人「こころスマイルプロジェクト」(宮城県石巻市)のスタッフとして働き始めました。震災で親を亡くした子どもたち約30人が利用するこの団体で、彼女はリモートで国語を教え、子どもたちの心のケアや学習支援を行っています。

「自分が助けを求めている人の支えになりたい」。怜奈さんは、自身の経験を活かし、同じ悲しみを抱える子どもたちに寄り添い、未来への希望を繋ぐ架け橋となっています。

オンラインで生徒をサポートする高橋怜奈さんオンラインで生徒をサポートする高橋怜奈さん

未来への希望を繋ぐ

怜奈さんの活動は、震災孤児支援の重要性を改めて私たちに問いかけています。子どもたちの心のケア、学習支援、そして未来への希望を育むためのサポート。彼女のような温かい支援者の存在が、子どもたちの未来を明るく照らしてくれるはずです。

東日本大震災から10年以上が経ちましたが、被災地では今もなお、多くの人々が心の傷を抱えています。怜奈さんのように、悲しみを力に変え、未来への希望を繋ぐ人々の存在が、復興への道を照らし続けてくれることを願っています。