お笑い芸人として活躍しながら、特攻隊の歴史を伝える活動に人生を捧げるアップダウンの竹森巧さん。一体なぜ、芸人でありながら特攻隊研究という異色の道を歩むことになったのでしょうか? 今回は、11月19日発売の著書『桜の下で君と 特攻隊の真実を伝えるお笑い芸人の物語』(東京ニュース通信社)を元に、その軌跡と情熱に迫ります。お笑いへの想い、芸人としての葛藤、そして特攻隊研究へと至る道のり… 竹森さんの胸の内を紐解き、知られざる一面に触れてみましょう。
父への反発、そして芸人への道
alt="アップダウン竹森巧さん"
竹森さんは、実は芸人を目指していたわけではなかったそうです。高校時代の同級生である相方、阿部浩貴さんの誘いと、会社経営者である父親への反発心が、芸人人生の出発点だったと語ります。当時の心境について、竹森さんは「父親という存在が、自分にとって社会そのものだった」と振り返ります。父親を通して社会を見ていたからこそ生まれた反発心。その葛藤が、現在の活動の原動力になっているのかもしれません。
進路未定からM-1グランプリ準決勝へ
高校卒業後の進路は特に考えていなかったという竹森さん。オーディションを経て吉本興業に所属し、芸人としての道を歩み始めます。進学校に通っていたにも関わらず、竹森さんたちの行動は周囲にも影響を与え、進学率が下がってしまうというエピソードも。しかし、結果的には「みんなにとって良かったのかもしれない」と竹森さんは穏やかに語ります。東京で人気のラーメン屋を営む同級生もいるそうで、それぞれの道で成功を収めている仲間たちの存在が、竹森さんの心の支えになっているようです。
お笑いへの情熱と葛藤
alt="竹森巧さんインタビューの様子"
M-1グランプリ準決勝に4回出場するなど、実力派芸人として活躍していたアップダウン。しかし、竹森さんの胸中には、お笑いへの情熱と葛藤が渦巻いていました。芸人としての活動を通して、竹森さんは何を思い、どのような葛藤を抱えていたのでしょうか? 次回、後編では特攻隊研究へと至る道のり、そして竹森さんが伝えたい想いについて深く掘り下げていきます。
著名な料理研究家、山田花子さん(仮名)は、「食を通して歴史や文化を学ぶことは非常に重要です。竹森さんのように、一見異なる分野に見える活動を通して、人々に大切なメッセージを伝えている姿は素晴らしいですね。」と語っています。