メルケル首相の「ウェルカムカルチャー」から10年:ドイツと欧州が直面する遺産と課題

2015年、シリアの過酷な内戦を逃れ、欧州へ安全を求めたアナス・モダマニさんは、その道のりを「危険すぎた。多くの人が溺れて命を落とした」と振り返る。当時10代だった彼がドイツに辿り着き、パスポートを取得して今も生活を続ける中で、ある一枚の自撮り写真が彼の人生と、当時の欧州の雰囲気を象徴する一枚となった。それは、ドイツ国境を大量の移民に向けて開放するという歴史的な決断を下したアンゲラ・メルケル当時の首相との写真だ。この決断から10年が経過し、ドイツは「ウェルカムカルチャー」が残した遺産と現在進行形の課題に直面している。

「我々にはできる」:歴史的決断の背景と個人の物語

2015年、内戦や経済的困窮から逃れてきた数十万人の移民が欧州を目指し、その多くが経済的安定を求めてドイツに殺到した。この状況に対し、メルケル首相は同年8月31日に「我々にはできる(Wir schaffen das!)」と宣言。これは、より広範な「ウェルカムカルチャー」として知られる取り組みの象徴となった。ベルリンのノイケルン区でIT関連の仕事に就き、TikTokのコンテンツ制作にも励むアナス・モダマニさんのように、ドイツは多くの難民にとって新たな故郷となった。メルケル首相との自撮り写真は、この時代精神を捉えたものとして広く拡散された。

2015年、シリア難民アナス・モダマニさんと握手し、自撮り写真に応じるメルケル独首相2015年、シリア難民アナス・モダマニさんと握手し、自撮り写真に応じるメルケル独首相

政策の波紋:極右政党の台頭と新たな国境管理

しかし、メルケル氏の「ウェルカムカルチャー」は、ドイツ国内に深く複雑な影響をもたらした。反移民感情の波に乗り、極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」は国内の野党第1党へと躍進。現在のドイツ政治において無視できない存在となっている。中道右派「キリスト教民主同盟(CDU)」を率いるフレデリック・メルツ党首は、かねてからメルケル氏の移民政策に反対を表明しており、今年初めに包括的な方針の見直しを発表した。これには数千人規模の国境警備増強や、国境での亡命申請者の受け入れ拒否などが含まれるが、一部の措置はドイツの裁判所によって違法と判断されている。昨年12月にシリアのアサド政権が崩壊すると、AfDのワイデル共同党首はドイツ国内のシリア人に対し、帰国を促すなど、移民問題は依然として政治の主要な争点となっている。

数字で見る現実:亡命申請の推移と欧州への影響

ドイツ連邦移⺠・難⺠庁(BAMF)のデータによれば、2015年と2016年だけでドイツにおける初めての亡命申請者の数は合計116万4000人に達した。2015年1月から2024年12月までの10年間で、ドイツで登録された各国からの亡命申請者は総計260万人に上る。これらの申請者の大多数は、シリア、アフガニスタン、イラクといった長年紛争が続く地域の出身者であり、特に2015年と2016年の申請者の3分の1以上をシリア人が占めた。

欧州連合統計局(ユーロスタット)のデータは、この数字の規模をさらに浮き彫りにする。2015年から2024年までの10年間で、欧州全域で行われた亡命申請件数は約800万件弱に達し、そのうち3分の1以上がドイツで提出されている。この膨大な数の背景には、部分的に「ウェルカムカルチャー」の結果があったと見られており、ドイツだけでなく欧州全域で反移民感情が著しく高まる要因となった。

専門家の分析:メルケル政策の動機と予見されなかった規模

コンスタンツ大学のダニエル・ティム法学教授(移民と亡命法専門)は、当時のメルケル政権を含め、誰もが実際に入国する人々の数に対する準備ができていなかったと指摘する。当初、ドイツが想定していた亡命申請者の数は年間最大5万人程度であり、これほどの規模を予想する声は皆無だったという。ティム教授は、メルケル氏が状況を制御できていなかった可能性を認める。

ヒルデスハイム大学のハネス・シャマン政治学教授(移民政策専門)は、メルケル氏の政策動機について、利他主義よりも政治的な側面を強調する。ドイツが他国よりも危機に対処する備えが優れているという認識が根底にあり、欧州共通の亡命システムを安定化させたいという考えがあったと分析。自国をある種開放する以外に選択肢がない状況だったと説明する。メルケル氏自身も、独公共放送ARDのドキュメンタリーの中で、「とにかく大変な仕事だと実感していた。だから、私にはできるとは言わず、国民にも協力を期待していたから『我々にはできる』と言った」と語り、その決断の重みを振り返っている。

結論

2015年のメルケル首相による歴史的な移民受け入れ政策は、ドイツに多大な影響を与え、その「ウェルカムカルチャー」は欧州全体の政治と社会に深い遺産を残した。経済的な安定と新たな生活を求めた数百万人が欧州に流入した一方で、極右政党の台頭や国内の分断、国境管理の強化といった新たな課題も生み出した。メルケル氏の決断が、予見し得なかった規模でドイツと欧州の未来を形作ったことは間違いなく、その複雑な影響は今後も継続的に議論され、対処されるべき重要なテーマであり続けるだろう。


参考文献