アントニオ猪木。リング上のカリスマ、国民的ヒーローとして、その名は今も多くの人の心に刻まれています。しかし、華々しい活躍の裏には、複雑な人間関係や葛藤がありました。今回は、猪木氏の弟・啓介氏の著書『兄 私だけが知るアントニオ猪木』を基に、特に晩年の猪木氏を支えた「最後の妻」橋本田鶴子氏との関係、そして兄弟との確執に焦点を当て、知られざる一面を紐解いていきます。
最後の妻「ズッコ」こと橋本田鶴子の登場
猪木氏のプロレス引退後、突如として現れた謎の女性カメラマン、橋本田鶴子氏。通称「ズッコ」と呼ばれた彼女は、猪木氏の最後の妻となり、その人生に大きな影響を与えました。
アントニオ猪木と橋本田鶴子
当初はプライベートな場面での存在感が大きかった橋本氏ですが、徐々に仕事面にも介入し始め、猪木氏を取り巻く環境は変化していくことになります。弟の啓介氏をはじめ、周囲との摩擦も生じ始め、猪木家の歯車は徐々に狂い始めていったのです。
IGF旗揚げと「恩人」との亀裂
2007年、猪木氏は新日本プロレスとの関係を解消し、新たなプロレス・格闘技団体IGFを旗揚げしました。このIGFの主要スポンサーの一人が、OSGコーポレーションの湯川剛会長でした。浄水器メーカーとして知られるOSGの創業社長である湯川会長は、長年にわたり猪木氏を支援してきた、いわば最古参のスポンサーでした。
二人の出会いは1983年3月、猪木氏にとって苦難の時期でした。当時、OSGが販売していた低周波治療器「リズムタッチ」のCMに猪木氏が出演。この商品が大ヒットし、OSGの成長に大きく貢献したことから、湯川会長は猪木氏に深い恩義を感じていたといいます。多くのスポンサーが短期間の付き合いとなる中、湯川会長は佐川急便の佐川清会長と並び、猪木氏を最後まで支え続けた「2大恩人」と呼ぶべき存在でした。
しかし、橋本氏の登場により、猪木氏と湯川会長の関係にも変化が生じます。橋本氏の言動をめぐり、猪木氏と湯川会長の間には亀裂が生じ、確執へと発展していくことになります。長年の信頼関係が崩れていく様子は、周囲の人々にとっても衝撃的な出来事でした。
アントニオ猪木
複雑な人間関係が生み出した悲劇
猪木氏の人生は、リング上での輝かしい功績だけでなく、複雑な人間関係や葛藤に彩られたものでした。橋本田鶴子氏の登場は、猪木氏の人生における大きな転換点となり、周囲の人々との関係にも大きな影響を与えました。
弟・啓介氏の視点から描かれた『兄 私だけが知るアントニオ猪木』は、猪木氏の知られざる一面を浮き彫りにし、人間としての苦悩や葛藤を深く理解する手がかりを与えてくれます。「燃える闘魂」アントニオ猪木の光と影、そして人間ドラマを改めて見つめ直すことで、その魅力をより深く理解できるのではないでしょうか。