桃井かおりが数学者・秋山仁に問う「熟すと腐る」人生:存在と生き甲斐の哲学

30数年前、女優・桃井かおりさんが数学者・秋山仁氏との対談で語った一言は、多くの人々に深く響く人生の真理を含んでいました。その言葉は、レゲエ数学者として知られる秋山氏自身の人生観をも揺さぶり、ただ「存在する」ことと、目的を持って「生きる」ことの違いについて深く考察するきっかけとなったのです。本記事では、この対談と、それに通じる先人たちの言葉から、私たち自身の生き甲斐について考えます。

俳優と数学者の共通点?桃井かおりの「熟すと腐る」人生観

「数学はいいですよ。お勉強を重ねて、積み重なって、高くなっていくものでしょ。でも、私の仕事は積み重なっていくものがない。熟すと腐るという感じ」――これは、1992年の夏、女優の桃井かおりさんが秋山仁氏との対談中に発した言葉です。当時の桃井さんは、映画やテレビドラマで素晴らしい役柄を次々と演じ、多くの人々にとって憧れの存在でした。それゆえ、この言葉は秋山氏にとって非常に意外なものとして受け止められたといいます。

桃井さんはさらに、「今までやってきたのと同じことをやっていっても腐るだけだから、新しい自分を生み出していきたい。その方向性が見え始めたところなの」と語り、過去の自分と本当の自分を客観的に見つめ、変革しようとする姿勢を示しました。彼女は「自分を変えていくために、新しいことにどんどん挑戦している」と述べ、その後ハリウッド映画のオーディションを受けたり、自らメガホンを取って映画を撮ったりと、新たな活躍の場を広げていきました。この桃井さんの言葉は、一見異なる分野に思える俳優業と数学研究の間に、驚くべき共通点があることを示唆しています。数学もまた、新たな発見に伴って理論体系が積み重ねられていく一方で、研究者自身は常に新しい未解決問題に挑み続けなければならないからです。

女優・桃井かおりのポートレート女優・桃井かおりのポートレート

オスカー・ワイルドが語る「ただ存在するだけ」ではない人生

桃井さんの言葉が問いかける「生きる」ことの本質は、アイルランドの詩人、作家、劇作家であるオスカー・ワイルドの有名な言葉にも通じます。「生きている」というのは、この世で滅多にお目に掛かれないことだ。なぜなら、ほとんどの人はただ「存在している」だけだから(To live is the rarest thing in the world. Most people exist, that is all.)とワイルドは述べました。

この言葉は、単に生物として生存するだけでなく、目的意識を持ち、心が躍動するような充実した日々を送ることこそが「生きる」ことであると教えてくれます。発達心理学の泰斗であった故・岡宏子先生(聖心女子大学名誉教授)も、その著書『生きているうちは活きて』(婦人生活社)の中で、「生きるということは、ただ生きて長らえることではなく、目的をもって心が溌剌として活きることだ」という主旨のことを記しており、ワイルドの思想と軌を一にしています。

ルソーの「2度生まれる」という思想:自我の目覚めと生き甲斐

さらに、フランスの哲学者ジャン・ジャック・ルソーは、「人は2度生まれる。1度目は生存するために、2度目は生きるために」という言葉を残しています。ルソーが言う「1度目の誕生」とは、母親からこの世に生を受けた瞬間を指し、これは生物としての存在の始まりです。一方、「2度目の誕生」とは、自我に目覚め、社会の中で自分がどう生きるべきかを模索し、親の庇護から独立していく20歳前後の時期を指すとされています。

この「2度目の誕生」こそが、私たち一人ひとりが自身の生き甲斐を見つけ、主体的に人生を築き上げていくための重要な段階なのです。桃井かおりさんが語った自己変革への挑戦や、オスカー・ワイルドが指摘した「ただ存在するだけではない」生き方、そしてルソーが提唱する自我の確立は、いずれも私たちに、受動的な生存に甘んじることなく、能動的に人生の意味を追求することの重要性を問いかけています。

終わりに

桃井かおりさんの示唆に富む言葉から始まり、オスカー・ワイルドやルソーといった先人たちの思想に触れることで、私たちは「生きる」ことの奥深さと、その中に秘められた無限の可能性について再認識することができます。ただ呼吸し、時間を過ごすだけの日々ではなく、常に新しい自分を発見し、目的を持って挑戦し続けること。それこそが、私たちの人生を豊かにし、真の生き甲斐へと導く道なのかもしれません。私たちは皆、自分だけの「2度目の誕生」を経験し、自らの意思で人生を彩るチャンスを持っています。