吉原遊女の涙:大河ドラマ「べらぼう」が描く江戸の光と影

大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」第11回「富本、仁義の馬面」で描かれた、吉原遊女たちの涙。彼女たちはなぜ、浄瑠璃太夫・富本豊志太夫(寛一郎)の語りに、そこまで心を揺さぶられたのでしょうか? 今回は、この感動的なシーンの裏側にある、江戸時代の遊女たちの過酷な現実と、彼女たちを取り巻く人間模様を紐解いていきます。

俄の目玉と遊女たちの願い

吉原を盛り上げるための祭り「俄」。大黒屋の女将・りつ(安達祐実)は、その目玉として人気絶頂の富本豊志太夫、通称「馬面太夫」を招くことを提案します。しかし、過去に吉原で辛い経験を持つ午之助は、首を縦に振りません。

altalt

そこで蔦屋重三郎(横浜流星)は、一計を案じます。偽の手紙で午之助とその相棒・市川門之助(濱尾ノリタカ)を呼び出し、過去の非礼を詫び、遊女たちによる手厚いもてなしで心を解きほぐそうとしたのです。そして、宴もたけなわの頃、蔦重は午之助に遊女たちへの富本節を依頼します。その切実な願いに、午之助は心を動かされ、ついに語り始めるのでした。

芝居を観ることすら叶わない遊女の境遇

門之助は、ただの座興で涙を流す遊女たちに驚きを隠せません。しかし、蔦重は遊女たちの置かれた厳しい現実を説明します。吉原の遊女たちは、滅多に大門の外に出ることが許されず、芝居を観に行くことすら叶わないのです。座敷芸で芝居や浄瑠璃に触れることはあっても、生の舞台を体験した遊女はほとんどいませんでした。

江戸文化の中心地であるにもかかわらず、一度も芝居を観ることなく人生を終える遊女も少なくなかったといいます。蔦重の言葉は、午之助の心に深く響き、そして、遊女たちの涙は、彼らの心を揺さぶったのでした。

過酷な現実:年に2日だけの休日

遊女たちは、よほどのことがない限り、大門の外に出ることは許されませんでした。緊急の場合でも、「切手」と呼ばれる通行証が必要で、遣手や若い衆の付き添いも欠かせません。 仮に外出の自由があったとしても、芝居を観に行く余裕などなかったでしょう。彼女たちに与えられた休日は、1年のうち、正月と盆のたった2日だけだったからです。

altalt

このような過酷な状況下で、心身の健康を保つことは容易ではありません。そのため、遊女たちは自ら自分の揚代を支払う「身揚り」で休暇を得ることもありました。しかし、それは妓楼への借金増加につながり、年季が延びてしまうことも少なくありませんでした。 文化の中心地でありながら、その恩恵を受けることのできない遊女たち。彼女たちの涙は、江戸の光と影を象徴しているかのようでした。 著名な江戸文化研究家、小林一郎氏も「遊女たちの境遇は、華やかな文化の裏に隠された、厳しい社会構造を如実に表しています。」と述べています。

蔦重の想い、そして未来へ

蔦重の言葉は、午之助の心を動かし、遊女たちに感動的なひとときをもたらしました。この出来事は、吉原という閉鎖的な世界に一筋の光を灯したと言えるでしょう。彼女たちの涙は、厳しい現実への嘆きであると同時に、文化への渇望、そして、より良い未来への希望を表しているのかもしれません。