国民的女優、いしだあゆみさんが3月11日、甲状腺機能低下症のため76歳でこの世を去りました。歌手としても女優としても輝かしい功績を残した彼女の晩年は、静かで穏やかなものだったといいます。この記事では、いしだあゆみさんの生涯と、人々に愛されたその人柄について振り返ります。
歌手として、女優としての輝かしい軌跡
長崎県生まれ、大阪育ちのいしださんは、5歳から児童劇団に所属し、芸能活動を開始。1964年に高校2年生でレコードデビューを果たすと、『ブルー・ライト・ヨコハマ』(1968年)など数々のヒット曲を世に送り出し、NHK紅白歌合戦にも10回出場しました。
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1980年代以降は女優としての活動も本格化。『北の国から』(フジテレビ系)、『金曜日の妻たちへ』(TBS系)などの名作ドラマに出演し、その演技力は高く評価されました。1986年には映画『火宅の人』と『時計 Adieu l’Hiver』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。2021年には旭日小綬章を受章するなど、まさに日本を代表する女優として活躍しました。遺作となったのは、2022年公開の連作映画『室井慎次 敗れざる者』『室井慎次 生き続ける者』です。
晩年の静かな暮らしと人柄
晩年は都内一等地のマンションで一人暮らしをしていたといういしださん。午後7時に就寝し、午前2時に起床するという超早寝早起きが日課だったそうです。「電気を使わない生活」を心掛けており、日の出前の暗い時間帯に近所を散歩することが日々の楽しみだったといいます。
早寝早起きの理由と人間観察
芸能関係者によると、いしださんは人目につくことを好まず、散歩も人通りの少ない時間帯を選んでいたといいます。また、外出時には帽子を深くかぶり、愛車のミニクーパーを運転することも多かったそうです。
食生活も質素で、コンビニのお菓子で食事を済ませることもあったといいます。食が細かったいしださんにとって、それで十分だったようです。また、華奢な体形を隠すために着物を好んで着ていたというエピソードも。
コンビニのイートインコーナーで食事をする人を観察するのが好きだったといういしださん。人間観察を通して、日々の生活の中に小さな喜びを見出していたのかもしれません。
突然の別れと静かな葬儀
3月に入り体調を崩し、都内の病院に入院したいしださん。わずか1週間ほどでこの世を去りました。葬儀は近親者のみで行われ、妹で元歌手の石田ゆりさんが中心となって執り行われたそうです。「お別れの会」などは、本人の意向により行われないとのこと。生前、注目を浴びることを避けていたといういしださんらしい最期だったと言えるでしょう。
国民的女優、いしだあゆみさんのご冥福をお祈りいたします。