京都御所を東に、二条城を南に望む京都市の中心部。歴史的な名所の隣接地に、戦後の復興期から現代に至るまで、街の変遷を見守り続けてきた特別な集合住宅群が存在します。それが「堀川団地」です。単なる住居としてだけでなく、その歴史的・建築的な価値から「生きた団地歴史博物館」と称されるこの場所は、現代においてどのようにその魅力を伝え、再生を遂げているのでしょうか。本記事では、京都の中心で独自の存在感を放つ堀川団地の歴史と、その類まれな魅力を深掘りします。
「生きた歴史博物館」堀川団地の誕生と変遷
堀川団地は、京都の南北を貫く堀川通沿いに約550mにわたって点在する集合住宅群の総称です。戦時中の建物疎開で賑やかだった一帯から住居や商店街が姿を消した跡地に、戦後復興の象徴として1950年から1954年にかけて建設されました。当初は6棟が存在していましたが、現在は「椹木町団地」「下立売団地」「出水団地1棟」「出水団地2棟」「出水団地3棟」の5棟が残っています。このうち椹木町団地は現在空き家となっていますが、他の棟は1階に商店街、2・3階に住居を構える「下駄履き住宅団地」として、今も現役で地域に息づいています。
京都市中心部に位置し、長らく空き家となっている堀川団地の一角、椹木町団地の外観。
建設当時、京都府および京都府住宅協会(現在の京都府住宅供給公社)によって手掛けられたこれらの鉄筋コンクリート造の団地は、いわゆる「昭和レトロ」な雰囲気を色濃く残しています。70年以上にわたる歴史の中で、建て替え、改修、保存と多様な形で存在し続けており、その姿はまさに時間の流れを可視化した「生きた団地歴史博物館」と言えるでしょう。
都市の中心で息づく「立体型京町家」:その立地と新たな価値
堀川団地の最も注目すべき点は、その立地です。多くの団地が郊外に建設される中、堀川団地は二条城や京都御所、京都府庁や文化庁といった都市機能の中核が集中するエリアに位置しています。これは東京で例えるなら、日比谷に団地が建ち並ぶようなものであり、その都市における稀有な存在感を際立たせています。専門家からは、その住居設計が京都の町家の特性を引き継いだ「立体型京町家」と名付けられており、伝統と現代が融合した独特の建築様式を示しています。
しかし、日本各地の昭和期に建設された団地群と同様に、堀川団地も老朽化や住人の高齢化といった課題に直面してきました。これらの課題に対し、様々な紆余曲折を経て再生への道が開かれ、現在は新たな価値創造の場となっています。その一例が、2021年に1棟が建て替えられた「堀川新文化ビルヂング」や、歴史的建築を巡る「京都モダン建築祭」です。2022年から開催されている京都モダン建築祭では、堀川団地が見学コースの一つとして組み込まれ、京都美術工芸大学の生川慶一郎教授によるガイドツアーは毎年すぐに完売するほどの人気を博しています。これは、堀川団地が単なる住居としてだけでなく、歴史的・文化的な価値を持つ観光資源としても再評価されている証拠です。
まとめ:未来へ受け継がれる堀川団地の魅力
京都市の中心部に位置し、戦後の復興から現代に至るまで、70年以上にわたる街の歴史を刻んできた堀川団地。その「昭和レトロ」な外観、「下駄履き住宅団地」としての機能性、そして「立体型京町家」と称される独特の建築様式は、日本の集合住宅史において重要な意味を持っています。老朽化という課題を乗り越え、「京都モダン建築祭」のようなイベントを通じて新たな価値を発見し続ける堀川団地は、過去と現在、そして未来をつなぐ「生きた建築」として、これからも多くの人々に感動を与え続けることでしょう。この歴史的な団地群が、次世代にどのように受け継がれ、どのような姿を見せるのか、その動向から目が離せません。
参考文献
- 東洋経済オンライン (Original article source)
- 京都府住宅供給公社 (Information provider)




