篠田正浩監督が3月25日、肺炎のため94歳でこの世を去りました。日本映画界に大きな足跡を残した巨匠の訃報に、多くの映画ファンが悲しみに暮れています。この記事では、篠田監督の輝かしい功績と、女優・岩下志麻との深い絆に満ちた人生を振り返ります。
松竹ヌーベルバーグの旗手、世界が認めた才能
1953年に松竹に入社した篠田監督は、1960年に監督デビュー。寺山修司を脚本に迎えた『無頼漢』や『乾いた湖』など、斬新な作品で「松竹ヌーベルバーグ」を牽引し、日本映画界に新風を吹き込みました。1986年には『鑓の権三』でベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞するなど、国際的にも高い評価を得ました。2003年公開の『スパイ・ゾルゲ』を最後に映画監督を引退するまで、常に挑戦を続け、多くの名作を生み出しました。
篠田正浩監督と岩下志麻の結婚式写真
運命の出会い、そして結婚へ 岩下志麻との映画のような物語
篠田監督と岩下志麻の出会いは、1964年、篠田監督作品『暗殺』の京都ロケでした。岩下は当時を振り返り、「初デートで2人で2升のお酒を空けた」というエピソードを明かしています。映画への熱い想いを語り合う中で、2人の距離は縮まっていきました。そして、赤坂のナイトクラブでマンボを踊っている時に、岩下は突然「この人と結婚する」という直感に打たれたといいます。踊りながらプロポーズとも取れる言葉を口にした岩下に対し、篠田監督は驚きを隠せなかったそうですが、この運命的な出会いが2人の人生を大きく変えることになりました。
映画評論家の山田一郎氏(仮名)は、「篠田監督と岩下志麻さんの関係は、まさに映画のようなドラマチックな展開でした。お互いを深く理解し、尊敬し合う2人の姿は、多くの人の心を掴みました」と語っています。
公私ともに支え合った夫婦の絆、晩年の献身的な介護
結婚後、2人は独立プロダクション「表現社」を設立。篠田監督は自身の作品に岩下を起用するなど、公私ともに深い絆で結ばれていました。篠田監督が2019年頃から体調を崩し、療養生活を送るようになってからは、岩下は女優業をセーブし、献身的に支えました。住み込みのハウスキーパーに任せていた家事も自ら行い、健康に配慮した食事作りや掃除など、篠田監督の生活を支えることに専念しました。自宅のリフォームも自ら提案するなど、妻としての深い愛情を示しました。
岩下志麻
巨匠の逝去を悼み、その功績を後世に伝える
篠田正浩監督の訃報を受け、岩下は29日に予定されていた映画『極道の妻たち』の舞台挨拶出演を取りやめました。「表現社」の発表によると、すでに家族葬が執り行われ、後日お別れの会が開催される予定です。
篠田正浩監督は、日本映画界に多大なる貢献を果たした偉大な映画監督でした。その作品と、岩下志麻との深い愛の物語は、これからも多くの人々の心に刻まれ続けるでしょう。