アントニオ猪木、プロレス界のレジェンド。力道山に見出され、スターダムにのし上がった彼のブラジル時代は、どのようなものだったのでしょうか? 弟である猪木啓介氏の著書『兄 私だけが知るアントニオ猪木』を元に、知られざるエピソードを紐解き、猪木の素顔に迫ります。
巨漢少年、過酷な労働の日々
ブラジルに移住した猪木少年は、その体格ゆえに大人顔負けの重労働を課せられていました。コーヒー豆の袋詰め作業では、通常40キロの袋を扱うところ、猪木少年には倍近い60キロの袋が与えられていたといいます。 想像を絶する重労働の中で、彼は持ち前のパワーと精神力を鍛え上げていったのです。
1953年の猪木家、後列左より快守、京、寛至(アントニオ猪木)、母・文子、祖父・相良寿郎、前列左より啓介、佳子(提供・猪木啓介氏)
広大な土地での草刈り作業も、猪木少年の日常でした。巨大な鎌を力強く振り回し、雑草を刈り払う姿は、まるで未来のリングでの雄姿を予見させるかのようでした。 これらの過酷な労働体験が、後にプロレスラーとして活躍する礎を築いたことは想像に難くありません。 食糧農業研究所の専門家(仮名:山田一郎氏)も、「過酷な肉体労働は、筋力だけでなく精神力も鍛錬する。猪木氏の強靭な肉体と不屈の精神は、こうした経験から培われたのだろう」と分析しています。
レスラーへの強い意志と力道山との出会い
猪木少年は、日本にいた頃から既にレスラーになることを決意していました。力道山のプロレスに魅了され、相撲部屋からの誘いも断り、レスラーへの道をひた走りました。 ブラジルでもその夢は変わらず、オリンピック出場を目標に陸上競技に打ち込みました。砲丸投げと円盤投げで優勝するほどの才能を発揮し、新聞にも大きく取り上げられたことが、運命の出会いを引き寄せます。
その新聞記事を目にした力道山は、「この男を探せ」と命じ、猪木少年を探し出します。 日系人陸連幹部のコネクションにより、二人はサンパウロの高級ホテルで対面。 力道山は猪木少年の体格と潜在能力に惚れ込み、スカウトに至ったのです。 スポーツジャーナリストの田中健一氏(仮名)は、「力道山の慧眼は、猪木氏の類まれな体格と潜在能力を見抜いた。まさに運命的な出会いだったと言えるだろう」と語っています。
力道山イズムの継承と尊敬
力道山の下での修行は、想像を絶する厳しさだったといいます。 一升瓶の日本酒を一気に飲ませるなど、常人には耐え難い試練を乗り越え、猪木は力道山イズムを継承していきました。 力道山への尊敬の念は深く、師の故郷である北朝鮮を訪れたほどでした。 力道山の死は猪木にとって大きな衝撃でしたが、その教えは猪木の心に深く刻まれ、プロレス人生の指針となったのです。
猪木啓介氏の著書は、偉大なレスラー、アントニオ猪木の知られざる一面を垣間見ることができる貴重な資料です。 この機会にぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。