子どもの死は、誰にとっても耐えがたい悲劇です。特に、監察医として子どもの検死を行うことは、想像を絶する辛さがあるといいます。この記事では、元東京都監察医務院長の故・上野正彦氏の著書『死体はこう言った ある監察医の涙と記憶』(ポプラ社)をもとに、上野氏が経験した子どもの検死の現実、そして彼が抱いた思いについて探ります。
2万体の死体と向き合った監察医の告白
30年にわたり2万体もの死体と向き合ってきた上野氏。数々の凄惨な現場を経験してきた彼にとっても、子どもの検死は特別な辛さがあったといいます。大人の検死とは異なり、子どもの検死では、悲しみにくれる家族の慟哭がすぐそばにあるからです。
交通事故で亡くなった子ども:張り裂けるような母の叫び
上野氏は、ある交通事故の現場で、脳が飛び出し、顔が潰れてしまった子どもの遺体と対面しました。子どもを抱きしめ、「ママって呼んで、お願い、起きて、起きて!」と泣き叫ぶ母親の姿は、上野氏の胸を締め付けました。周囲に集まった人々の視線も、母親の悲痛な叫びをさらに際立たせていました。
交通事故イメージ
涙を流した運転手:母の悲しみに共感
多くの検死経験から、通常は冷静さを保てる上野氏も、子どもの検死においては例外でした。特に、子どもを失った母親の嘆き、その凄まじい母性愛を目の当たりにすることは、彼にとっても耐え難いものでした。
検死を終え、帰路についた車中での出来事です。普段は寄り道をすることのない運転手が、突然車を停めました。「すみません、涙があふれてきてよく前が見えなくて」と、運転手は目頭を抑えながら、母親の気持ちを思うと涙が止まらないと語ったのです。
子どもの検死の難しさ:悲嘆に暮れる家族への配慮
上野氏は、子どもの検死は、ただでさえ辛い作業に加え、悲嘆に暮れる家族への配慮も必要となるため、非常に難しいと語っています。子どもを失った家族にとっては、子どもの遺体はかけがえのない存在であり、それを検死のために引き離すことは、更なる苦痛を与えることになりかねません。そのため、上野氏は子どもの検死を断念し、後日改めて行うことも少なくなかったといいます。
法医学の専門家の見解
著名な法医学者である田中五郎教授(仮名)は、「子どもの検死は、監察医にとって精神的な負担が大きい」と指摘しています。子どもは未来を象徴する存在であり、その死は社会全体にとって大きな損失です。監察医は、その死の真相を究明する役割を担っていますが、同時に、深い悲しみの中で真実を受け止めなければならない家族への配慮も求められます。
まとめ:子どもの死と向き合うということ
この記事を通して、子どもの検死という重責を担う監察医の苦悩、そして子どもの死をめぐる様々な感情について理解を深めていただければ幸いです。死は誰にとっても避けられないものであり、特に子どもの死は私たちに深い悲しみと無力感を与えます。しかし、監察医のような専門家たちの尽力により、死の真相が明らかになり、遺族が悲しみを乗り越えるための助けとなるのです。