『男はつらいよ』が松竹のドル箱映画としての確固たる地位を獲得するのは、昭和46年の第8作『寅次郎恋歌』(主なロケ地=岡山県)からである。当時はまだ2本立て興行期であるが、この作品は洋画系と同じく1本だけのロードショー式公開をし、その年の邦画興行成績ナンバーワンとなった。はじめて販売用のパンフレットが作られ、破竹の勢いとなる。
以後10年間の20作品中、なんと16作品が全邦画興行成績10位までに入った。映画衰退期の救世主であり、老舗松竹を蘇らせた。映画館におけるシリーズ全48作品の総観客数は、7960万人と発表されている。
以後テレビでの無数の放映、さらにビデオやDVDの販売、自主上映会も多く、中国に渡って公開された8作品は「億」単位の人が楽しんだという。作品を観た延べ人数は、世界人口の5分の1くらいの数字になるのではないか。まさに天文学的数字である。
映画館で公開時の観客数トップは、48年の第12作『私の寅さん』の242万人。マドンナ、りつ子(岸惠子)が「まあ、熊さん」と何度も寅次郎を呼び間違えるギャグが記憶に残る一編である。
この作品では、とらやの面々が九州旅行に出かけて、寅が柴又に残って留守番をする。定着者が旅をし、放浪者が一時的に定着を強いられる。
寅は、おいちゃん(松村達雄)やさくら(倍賞千恵子)たちが心配で仕方がない。旅先の家族との電話で毒づいてしまう。「手前たちにゃな、待つ身というものがどんなにつらいもんか分からえねんだぞ」
おいちゃん「みんな無事だから安心しろ」
「安心しろ? よくもそういうことをぬけぬけといえるな。オレに安心させたきゃなんでもっと早く電話しねえんだ」
年に1度か2度、気まぐれにとらやに消息を電話してくる寅は、まるで天に唾を吐いているようなものである。
寅の電話攻勢に悲鳴をあげたさくらたちは早々と旅行を切り上げて帰郷する。作品のテーマを深化させるほどの奥行きはないが、定着しつつも旅を楽しみ、人々が平凡にではあれ、無事息災に生きることの大変さを喜劇仕立てで描いていて楽しめる。市井の民というか、生活者の幸せとは何か問いかける一編でもある。