井上ひさし氏。NHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」や小説『吉里吉里人』など、多くの名作を生み出した日本を代表する作家です。2010年に75歳でこの世を去りましたが、その作品は今もなお多くの人々に愛され続けています。今回は、井上ひさし氏の知られざる素顔、特に「遅筆伝説」や、彼を取り巻く人々の証言を通して、その作品への情熱とユーモア溢れる人生を紐解いていきます。
遅筆の裏に隠された、妥協なき創作への情熱
井上ひさし氏の「遅筆」は、文壇では有名な話でした。200字の原稿のために3日間も泊まり込む編集者がいたという逸話からも、その徹底したこだわりが伺えます。一体なぜ、彼はそれほどまでに時間をかけたのでしょうか? それは、氏の妥協を許さない創作姿勢と、言葉に対する深い愛情によるものでした。
「私も天皇さんは好きです」:ユーモアと知性で右翼をいなす
井上氏は、天皇の戦争責任に言及したことで、右翼団体から攻撃を受けたこともありました。「新右翼」を自称する団体「一水会」最高顧問の鈴木邦男氏の証言によると、脅迫電話を受けた井上氏は、「私も天皇さんは好きですし、この国を愛しているつもりです。その証拠に、歴代の天皇さんの名前も全部言えますし、教育勅語も暗誦できます。右翼の人は当然、皆、言えますよね」と、ユーモアと知性を交えて冷静に返答し、相手を圧倒したといいます。このエピソードからも、氏の機転の良さと、揺るがない信念が垣間見えます。
井上ひさしさんの自宅書斎
シェイクスピアを「娯楽」にした男:小田島雄志氏との交流
東大名誉教授で演劇評論家の小田島雄志氏との交流も、井上ひさし氏の人となりを理解する上で重要な要素です。小田島氏のシェイクスピア全訳に対し、井上氏は「小田島訳によって、シェイクスピアは娯楽になった」と評しました。当時、難解なものとされていたシェイクスピアを、より多くの人々が楽しめるものにした小田島氏の功績を、誰よりも高く評価していたのです。また、小田島氏の古希を祝う席でのスピーチでは、「小田島さんは古希になられたそうですが、私はすでにコキュでして」と、自虐的なジョークを交えながら祝福するなど、二人の間には深い友情と尊敬の念があったことが伺えます。
煙草と創作:1日80本ものヘビースモーカー
井上氏は、大の愛煙家としても知られていました。1日4箱、80本もの煙草を吸っていたという逸話が残っており、煙草増税が決まった際にも、「1箱1万円になったって止めない」と豪語していたそうです。煙草は、氏の創作活動において、なくてはならないものだったのかもしれません。
井上ひさしさん
井上ひさし、その作品に込められたメッセージ
井上ひさし氏の作品は、単なる物語ではなく、社会風刺や人間の弱さ、強さを描いた、深みのあるものです。氏の作品に触れることで、私たちは現代社会における様々な問題について考えさせられ、そして、人間の本質について深く理解することができます。
井上ひさし氏の作品を、今こそ
時代を超えて愛される井上ひさし氏の作品。その独特の世界観と鋭い洞察力は、現代社会を生きる私たちにとっても多くの示唆を与えてくれます。ぜひ、この機会に氏の作品に触れ、その魅力を再発見してみてはいかがでしょうか。