漫才界の重鎮、オール阪神・巨人のオール巨人師匠がNHKの番組で、弟子への熱い思いと、ある弟子との悲しい別れを語りました。長年、数多くの弟子を育ててきた巨人師匠の言葉には、師匠としての責任感と愛情が深く刻まれていました。
厳しい指導の裏にある深い愛情
巨人師匠は32歳から40年以上にわたり、多くの弟子を受け入れてきました。親御さんから預かった大切な命、弟子たちに芸はもちろん、人としての常識も教え、将来の人生に役立つよう指導してきたと語ります。「弟子にとって厳しい師匠」という評価もある巨人師匠ですが、その厳しさの裏には、弟子たちの成功を願う強い思いが隠されていました。
「自分ができたことは弟子にもできるはず」という考えのもと、時に厳しく指導してきた巨人師匠。しかし、お笑いに向いていないと判断した弟子には、将来のことを考え、道を譲ることもあったそうです。
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忘れられない弟子との別れ…小豆島での悲劇
数多くの弟子の中でも、巨人師匠が特に忘れられない弟子がいます。小豆島出身のその青年は、両親と共に巨人師匠の元を訪れ、弟子入りを志願しました。「とても素直で面白い子だった」と巨人師匠は当時を振り返ります。しかし、不器用ながらも一生懸命な彼に、巨人師匠は「この世界は厳しい」と感じ、両親に説得してもらい故郷へ帰ってもらいました。
ところが、両親が買ってくれた車が到着したその日、彼は小豆島で事故を起こし、帰らぬ人となってしまいました。巨人師匠は「自分が弟子をやめさせなければ、こんなことにはならなかったのではないか」と深く悩んだそうです。
弟子を思う親心と、師匠としての決意
小豆島のお墓参りで、巨人師匠は両親に謝罪する覚悟でいました。しかし、両親からは意外な言葉が返ってきました。「息子は巨人師匠の弟子になって良かった。島に戻ってきてからも、以前より立派な好青年になり、人気者になりました」と。その言葉に、巨人師匠は涙を流さずにはいられませんでした。
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この出来事から30年。巨人師匠は今も毎年、彼の墓参りを続けています。そして、「弟子を持つということは、人の子供を預かるということ。もう弟子は取らない」と、師匠としての責任の重さを改めて噛み締めているそうです。
笑いへの情熱と、未来への希望
弟子への深い愛情と、厳しい世界で生き抜くための厳しさ、そして別れという悲しみ。様々な経験を経て、巨人師匠は今もなお、漫才界の第一線で活躍しています。彼の言葉には、笑いを愛する情熱と、未来への希望が込められています。