日米関係の強化に尽力した「知日派」の重鎮、リチャード・アーミテージ元米国務副長官が79歳で亡くなりました。この記事では、アーミテージ氏の功績と日米同盟への影響、そして知られざるエピソードを交えながら、その軌跡を振り返ります。
ベトナム帰還兵から外交の舞台へ:アーミテージ氏の経歴
マサチューセッツ州ボストン生まれのアーミテージ氏は、海軍兵学校卒業後、ベトナム戦争に従軍。帰国後は上院議員秘書を経て、レーガン政権で国防次官補を歴任しました。ブッシュ(子)政権では国務副長官として、同時多発テロ後のアフガニスタン攻撃、イラク戦争、在日米軍再編など、重要な局面で日米間の調整役を担いました。
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「ショー・ザ・フラッグ」「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」:日本への協力要請
同時多発テロ後、柳井俊二駐米大使(当時)との会談で放った「ショー・ザ・フラッグ(旗を見せろ)」という言葉は、日本への貢献要請の象徴として広く知られるようになりました。イラク戦争開戦時には「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(陸上部隊の派遣を)」と要請し、陸上自衛隊のイラク派遣へと繋がりました。これらの言葉は、当時の日米関係を象徴するものとして、01年の流行語大賞にも選ばれました。
アーミテージ・レポート:日米同盟の羅針盤
2000年秋に発表された「アーミテージ・レポート」は、日米同盟の将来像を示した画期的な提言でした。日米関係を米英同盟のような緊密な関係へと発展させること、そして日本の集団的自衛権行使の必要性を強調するなど、その後の日米同盟の深化に大きな影響を与えました。アーミテージ氏はその後もレポートを改訂し続け、変化する国際情勢に対応した提言を行い続けました。
日米同盟深化への貢献:旭日大綬章受章
アーミテージ氏の日本への貢献は、2015年の旭日大綬章受章にも表れています。長年にわたり日米関係の強化に尽力した功績が認められたものです。日本の安全保障政策に精通し、政界にも幅広い人脈を持つアーミテージ氏の存在は、日米同盟にとってかけがえのないものでした。
共和党穏健派の重鎮:トランプ政権への批判
共和党穏健派の重鎮として知られたアーミテージ氏は、トランプ前大統領の政策を批判し、バイデン大統領への支持を表明しました。2021年にはバイデン政権の非公式代表団の一員として台湾を訪問し、中国への牽制を強める姿勢を示しました。
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惜しまれる死:今後の日米同盟
アーミテージ氏の死去は、日米同盟にとって大きな損失です。しかし、彼が築き上げた日米関係の基盤は、今後の日米同盟の更なる発展に繋がるでしょう。アーミテージ氏の功績を偲び、日米両国は更なる協力関係の構築を目指していく必要があります。
アーミテージ氏の遺志を継いで:未来の日米関係へ
アーミテージ氏が生涯をかけて築き上げてきた日米関係は、今後も両国の平和と繁栄にとって不可欠なものです。彼の遺志を継ぎ、より強固な日米同盟を築き上げていくことが、私たちに課せられた使命と言えるでしょう。