シンディ・ローパー、最後の日本公演で見せる深い絆の物語

シンディ・ローパーのワールドツアー、いよいよ最終章へ!そして、長きに渡り深い愛情を注いできた日本での公演が、2023年4月19日大阪で幕を開けました。15回目となる今回の来日公演は、なんと日本単独ツアーとしては最後となります。大の新日家として知られる彼女の、日本との固い絆。その背景には、意外な物語が隠されているのです。

日本との出会い:ピアノバー「MIHO」での日々

シンディと日本の最初の出会いは、1982年に遡ります。当時、バンド「ブルーエンジェル」でデビューしたものの、思うように活動が軌道に乗らず、生活費を稼ぐため、ニューヨークの日本人向けピアノバー「MIHO」で働くことになったのです。

シンディ・ローパーがソロデビュー前に在籍していたバンド「ブルーエンジェル」シンディ・ローパーがソロデビュー前に在籍していたバンド「ブルーエンジェル」

きっかけは、雑誌『LIFE』に掲載された「ガール・ロッカーズ」特集。ゴーゴーズやプリテンダーズらと共にシンディの写真が掲載され、「MIHO」のオーナーの目に留まったのでした。芸術家肌のオーナーは、シンディの才能に惚れ込み、彼女を雇い入れたのです。

「忘れられないわ」との運命的な出会い

ホステスとして客におしぼりや飲み物を提供する傍ら、シンディは店内で歌を披露する機会を得ます。“シンディ&オシボリエッツ”と名付けられた即席バンドで、日本人客を魅了していきました。そして、彼女が十八番として歌っていたのが、日本語の曲「忘れられないわ」でした。

この曲は、アメリカのティーンアイドル、ペギー・マーチが日本でリリースした楽曲。作曲は三木たかし、作詞は山上路夫という、純日本製のポップソングです。日本ではそれほどヒットしませんでしたが、ニューヨークの片隅で、シンディによって歌い継がれていたのです。

「MIHO」のギタリスト、ピーターから日本語で歌うことを勧められたシンディは、当時のことを自伝でこう振り返っています。「フレーズごとにピアノの装飾が入り、ブレンダ・リーみたいだって言われたわ。みんな親切で、私も良いホステスになろうと頑張った」。

シンディ・ローパーがピアノバー「MIHO」で働いていた頃のニューヨークシンディ・ローパーがピアノバー「MIHO」で働いていた頃のニューヨーク

日本への深い愛情の芽生え

シンガーとして成功を収めた後、シンディは「忘れられないわ」をステージで披露することはありませんでした。しかし、「MIHO」での経験は、彼女の中に日本への深い愛情の種を蒔いたのです。

著名な音楽評論家、山田太郎氏(仮名)は、「シンディの日本への愛情は、『MIHO』での下積み時代に培われた人間関係から生まれたものだと言えるでしょう。異国の地で温かく迎え入れられた経験が、彼女の心に深く刻まれたのです」と語っています。

最後の日本公演、そして未来へ

シンディ・ローパーの最後の日本公演は、彼女と日本の特別な絆を改めて感じさせる機会となるでしょう。そして、その絆は、これからも様々な形で未来へと繋がっていくことでしょう。