【福知山線脱線事故20年】1両目の女子大生が語る、10秒間の悪夢

2005年4月25日、JR福知山線で発生した脱線事故。107名もの尊い命が奪われた、未曾有の鉄道事故から20年が経ちました。この事故は、一体なぜ起こってしまったのか。生死を分けたものは何だったのか。そして、生き残った人々はどのような苦悩を背負い、どのように再生への道を歩んでいったのか。

本記事では、ノンフィクション作家・柳田邦男氏の著書『それでも人生にYesと言うために JR福知山線事故の真因と被害者の20年』(文藝春秋)を参考に、事故当時の状況を克明に振り返ります。今回は、1両目に乗り合わせていた女子大生の証言を通して、あの凄惨な10秒間を紐解いていきます。

1両目の車内:女子大生の証言

事故当時、1両目に乗車していた女子大生、木村仁美さんの証言から、車内での出来事を辿ってみましょう。

カーブに差し掛かった瞬間、「キキーッ」という耳をつんざくような音が響き渡り、同時に激しい横揺れに見舞われました。仁美さんは、一緒に乗っていた友人の裕子さんの手を握りしめ、バランスを保とうと必死でした。

脱線事故現場脱線事故現場

しかし、その直後、信じられない光景が目の前で繰り広げられました。2両目の窓枠が、まるで映画のワンシーンのように横にずれていくのです。それと同時に、1両目の車体が四角形から菱形へと歪んでいきました。

恐怖の10秒間:何が起きたのか

何が起きているのか理解する間もなく、車内はパニック状態に陥りました。「キャーッ」「うわー」という悲鳴が響き渡り、乗客たちは次々と倒れこみ、進行方向左側に滑り落ちていきました。仁美さんと裕子さんの手も離れ、裕子さんは折り重なる人々の山へと落ちていきました。

仁美さんは必死に踏ん張ろうとしましたが、傾斜が激しくなるにつれ、まるで首を引っ張られるような感覚に襲われ、宙に浮き上がりました。咄嗟に体を丸め、就職活動用の鞄を両腕で抱え込みました。車内の電気が消え、「ガリガリガリッ」という金属が擦れる音が響き渡る中、彼女はただただ目を閉じ、歯を食いしばっていました。

鉄道ジャーナリストの梅原淳氏(仮名)は、「この事故は、速度超過とカーブへの進入速度の誤算が重なったことが原因の一つと考えられます。運転士の心理的なプレッシャーや、安全管理体制の不備なども指摘されています」と述べています。

生死を分けたもの

この事故では、座席の位置や、咄嗟の行動によって生死が分かれたケースもあったとされています。一部の専門家は、つり革や手すりに掴まっていることができた乗客は、衝撃を軽減できた可能性があると指摘しています。

福知山線脱線事故は、日本の鉄道史に深く刻まれた痛ましい事故です。20年が経過した今も、多くの遺族や被害者の方々が深い悲しみを抱えています。私たちは、この事故の教訓を風化させることなく、安全な社会の実現に向けて努力していく必要があります。

この事故について、さらに詳しく知りたい方は、柳田邦男氏の著書『それでも人生にYesと言うために JR福知山線事故の真因と被害者の20年』(文藝春秋)をぜひお読みください。