1933年、ドイツ国民の基本的人権が損なわれていく中で、なぜ大規模な反発は起こらなかったのか?本記事では、石田勇治氏の著書『ヒトラーとナチ・ドイツ』を参考に、当時の国民心理に迫ります。
権力掌握と国民の沈黙
恐怖と諦め
ヒトラーによる政治弾圧は、国民に恐怖と当惑をもたらしました。しかし、多くの人々は「非常事態なのだから仕方ない」と諦め、事態を容認するか、見て見ぬふりをしました。当局に拘束された人は少数であり、自身に危害が及ばない限りは静観する人々が大多数だったのです。
ナチス時代の行進
安易な期待と日和見主義
「議事堂炎上令は一時的なもの」「危険思想を持たなければ弾圧されない」「ヒトラーを支持すれば安泰」といった甘い観測や安易な思い込みが広まりました。こうした考えは、これまでヒトラーに距離を置いてきた人々の態度をも変えていったのです。
3月選挙後、ナチ党への入党希望者が急増。わずか3ヶ月で党員数は85万人から250万人を突破しました。当時のドイツの人口は約6600万人なので、26人に1人が党員となった計算です。
この急増は、官吏、教員、団体職員など、時流に乗った日和見主義者によるものが多く、古参党員からは「3月投降者」(メルツゲファレン)と揶揄されました。ナチ化が進む社会では、党員であることが出世の条件とみなされるようになったのです。
ヒトラー礼賛ムードの蔓延
3月下旬から4月上旬にかけての民意の変化は、ナチ体制下の社会における大きな転換点となりました。人々の間にヒトラー支持への躊躇がなくなり、公然と礼賛するムードが広がっていったのです。
ヒトラー誕生祭:国民的祝典
ヒトラーの44歳の誕生日である4月20日、全国各地で祝賀パレードや松明行列が行われました。小さな村の家々にも祝いの花綵が飾られ、家族総出で準備を行う光景も見られました。
これは、ゲッベルスの宣伝省による周到な演出の賜物であると同時に、国民の間でヒトラーを指導者として受け入れる素地ができていたことを示しています。
ナチス時代の集会
まとめ
当時のドイツ国民は、恐怖や諦め、安易な期待、日和見主義など、様々な心理が複雑に絡み合い、ヒトラーへの熱狂を生み出しました。この歴史的事実から、私たちは権力と民衆の関係性、そしてプロパガンダの恐ろしさを改めて学ぶ必要があるでしょう。