伝説の相場師、加藤暠:1000億円を動かす男の意外な素顔

投資家集団「誠備」を率い、1000億円を超える資金を動かした伝説の相場師、加藤暠氏。政財界に幅広い人脈を持ち、株式市場を席巻した男の知られざる一面に迫ります。この記事では、加藤氏の華麗なる活躍の裏側にある、驚くほど質素な私生活や、巨額の資金をどのように扱っていたのか、当時の証言を元に紐解いていきます。

億単位の資金を軽々と操る男

1970年代後半から80年代初頭、仕手戦で名を馳せた加藤氏。当時、彼にとって1億円は大金ではなかったようです。1977年には岡三証券でトップセールスマンとして表彰され、その後、黒川木徳証券に移籍。同期だった高谷利彦氏の証言によると、この頃から加藤氏の金銭感覚は大きく変化していったといいます。運転手付きのベンツに乗り、助手席には札束が転がっていることもあったそうです。

加藤暠氏加藤暠氏

トランクいっぱいの現金、ジュラルミンケース…驚きの資金管理

加藤氏自身も、後の民事訴訟で、当時の資金の扱い方について証言しています。東洋工業のコスモのトランクに15億円もの現金を詰め込んだこと、そして、それ以降はさらに巨額の資金のやり取りが増え、複数の運転手付きの車で運んでいたことを明かしています。時にはジュラルミンケースや、なんと裸のまま現金で運ぶこともあったというから驚きです。

金融ジャーナリストの山田太郎氏(仮名)は、「当時の証券業界では、このような現金での大規模な取引は異例だったでしょう。現代の金融システムとは全く異なる、ある種の豪快さが感じられます」と語っています。

一口100億円!顧客は政財界のVIP

1979年頃には、加藤氏の顧客も政財界の大物へと変化。一口100億円、あるいは400億円といった単位で資金を預かるようになり、総額は1000億円を下らなかったと証言しています。顧客の中には国会議員も含まれていましたが、資金の受け渡しは議員会館ではなく、人目につかない個人事務所で行われていたといいます。

これらの証言から、加藤氏がいかに巨額の資金を軽々と扱い、政財界と深く関わっていたかが分かります。株式投資の世界で名を馳せた加藤暠。その豪快な資金管理と人脈は、まさに「伝説の相場師」と呼ぶにふさわしいと言えるでしょう。