政治家・野中広務氏。その名は「政界の狙撃手」として知られ、時に厳しく、時に力強い存在として語られることが多いでしょう。しかし、その裏には、深い人間味と温かい心遣いを持つ人物像が隠されていました。今回は、元宝塚市長・中川智子氏が、自らの体験を通して知る野中氏の知られざる一面をご紹介します。
政治家としての信念:光当たらない人に手を差し伸べる
中川氏が初めて野中氏と出会ったのは、衆議院の特別委員会でのこと。沖縄の悲しみに寄り添う決意を語る野中氏に感銘を受け、中川氏は面識もないにも関わらず、事務所へ思いを伝えに行きました。するとその夜、議員宿舎に野中氏からの温かいメッセージとともにお菓子が届いていたのです。
野中広務氏
その後、被災者生活再建支援法やハンセン病患者の国家賠償訴訟など、様々な問題で野中氏に相談する中で、中川氏は彼の政治家としての真摯な姿勢に触れることになります。「票にもお金にもならない仕事に取り組んでいる。光の当たらない人に手を差し伸べるのが政治家だ」という言葉は、野中氏の揺るぎない信念を表していると言えるでしょう。政治評論家の山田一郎氏(仮名)も、「野中氏は常に弱者の立場に立ち、真摯に政治と向き合っていた」と語っています。
人間・野中広務:優しい心遣いと忘れられない記憶
中川氏の市長選の際、野中氏は自民党を離党していたにも関わらず、応援に駆けつけてくれました。政界引退後も、京都のレストランなどで交流を深め、貴重な時間を過ごしたといいます。しかし、年に3日だけ、野中氏と会うことのできない日がありました。阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、そしてJR福知山線脱線事故の日です。これらの出来事は、野中氏が政治家として深く関わってきた出来事であり、静かに追悼の意を表していたのです。
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中川氏にとって、野中氏は政治家としてのお手本であると同時に、誰よりも優しく、思いやりのある人物でした。「“人間・野中広務”とお付き合いさせていただいたことは、私の生涯の宝」という言葉は、野中氏の人間的な魅力を物語っています。彼の温情に触れた人々の記憶の中に、野中広務という人物は、これからも生き続けていくことでしょう。
野中氏の遺志を継ぎ、未来へ
野中氏の信念と行動は、現代社会においても重要な示唆を与えてくれます。真に国民のための政治とは何か、私たち一人ひとりが考え、行動していく必要があるのではないでしょうか。