ワイドショーがテレビを席巻していた1990年代、華やかな番組を彩っていた個性的なリポーターたち。なかでも、東海林のり子さん(90)は凄惨な事件から芸能人の葬儀まで、取材が難しい現場でも果敢に足を運びリポートしてきた。ワイドショーの“生き字引”となった東海林さんが、今は亡き同僚リポーター奥山英志さん、忘れられない事件現場、バッシングに対する想いなどを語った。【前後編の後編。前編を読む】
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ニッポン放送のアナウンサーだった東海林さんが、テレビ界に軸足を移したのは1971年。『小川宏ショー』『3時のあなた』『おはよう!ナイスデイ』(いずれもフジテレビ系)と人気ワイドショー番組で次々とリポーターを務めた。
「それまでやっていた男性リポーターが辞めてしまったそうで、『今すぐ現場に行けますか』とフジテレビから電話がかかってきたのが始まりでした。すぐに『行けます』とお返事しました。最初は大変でしたね。
取材の仕方はわからないし、当時、現場は男性の報道記者ばかりだったから、『事件取材は女には無理だよ』なんて言われました。でも、そこでへこんだりしなかったの。『だったら、がんばろう!』って逆に思ったんです」
逆境が東海林さんの負けず嫌い魂に火を付けたのだ。
「男性記者たちを見ていると、『もうこれ以上取材はできない』と見切りをつけるのが早く、みんなで一緒になってサッサと引き上げていくんです。そこで私は粘って居残り、男性記者がいなくなった後、家の外に出てきた主婦の方たちに声をかけて話を聞いたの」
同性の女性だからこそ、主婦らは東海林さんに心を開いて話をしてくれたのかもしれない。
「『小川宏ショー』の前には通販番組のはしりの番組のオファーをいただき、団地の主婦らに商品をアピールして売ったりしていたから、女性たちと話をする下地ができていたのかもしれない。いつの間にか自分なりのやり方を編み出していったのね」