1990年代半ばに爆発的に流行し、女子高生たちがこぞってはいたルーズソックス。約30年の時を経て、これが再流行中なのだという。参入するのは靴下メーカーのほか、かのユニクロや無印良品まで。往時のブームの仕掛け人が、ルーズソックスの栄枯盛衰を語る。
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ターゲットは“OL”
茶髪に短いスカート丈、その足元にはクタクタにたるんだルーズソックス――。バブル崩壊後、これが女子高生の定番となる。
「元々は女子高生ではなく、OLをターゲットにした商品だったんですよ」
ブームの端緒をそう振り返るのは、靴下メーカー・ブロンドール創業者の鴇田(ときた)章氏(84)。96年に「ルーズソックス」が新語・流行語大賞のトップテンに選出された際には授賞式にも出席した、自他ともに認めるブームの仕掛け人である。
鴇田氏が言う。
「88年に公開された『ワーキング・ガール』というハリウッド映画の冒頭で、ニューヨークのOLたちがスニーカーに、エアロビで着けるようなクシュッとした靴下をはいて通勤してたんです。会社に到着すると、その靴下とスニーカーを脱いでパンプスに履き替えるシーンが印象的だった。これは日本でもはやるぞと思い、90年に自分の会社で本格的に売り出したんですね」
流行語大賞で有名人に
ところが、肝心のOLにはさっぱり売れず、飛びついたのは女子高生。
「渋谷の街にルーズソックス姿の女子高生が現れ始めた。そのうち関東に広がって、全国的に女子高生がはくように。短いスカート丈がはやり、対比で脚が細く見える太いルーズソックスがウケたんです」
流行語大賞で登壇した96年には、こんなことも。
「道ですれ違った女の子が“ときたさ〜ん!”と手を振ってくれるような感じになりましたね。ちょっとした有名人でした。あの頃はもう、渋谷を歩く女子高生のほぼ全員がルーズソックスをはいているような状態だった」
まさにブームの頂点。
「長さとかたるみ具合を変えて35種類ぐらい発売しましたよ。白いルーズソックスが埼玉の学校で禁止されたと聞けば黒や紺のルーズを出してね。それがまた飛ぶように売れました」