朝ドラ『あんぱん』で描かれた「赤紙」の重み、召集から逃れることはできなかったのか


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■ いつになく真剣な「ヤムさん」の言葉

 「今からそのへんの石を足にどーんとやったらどうだ?  手伝ってやろうか?  痛いのがダメだったら醤油だ、醤油。一升かっくらって倒れてしまえ」

 阿部サダヲ演じる風来坊のパン職人「ヤムさん」がむちゃくちゃなことを言うので、石工の豪が「何いいゆうがですか」と呆れると、ヤムさんはこう語気を強めた。

 「行くな……戦争なんてろくなもんじゃねえよ」

 普段、ふざけてばかりのヤムさんが、「赤紙」を受け取ったばかりの豪を、なんとか戦地に行かすまいとする様子は、胸にこみあげてくるものがあった。

 視聴者もヤムさんの意見に大いに共感したことだろう。だが当時、赤紙から逃れるのは簡単ではなかった。

 「忘れちゃえ赤紙神風草むす屍」

 俳人の池田澄子によるこの作品が「俳句研究」(平成14年8月号)に掲載されると、反国家的だという批判の声が上がった。

 しかし、これは第三者に向けて歌ったものではなく、赤紙について「忘れてしまえ」と己に言っている、というのが作品の本意であった。この句からは、実際に戦争を体験した池田の心中において、いつも忘れられずにいた赤紙の存在が、いかに大きかったかが読み取れる。

 確かに、赤紙は来た本人はもちろん、周囲の人間にとっても、忘れようとしても忘れられないものであった。今はまだ受け取っていない人さえも「今度は自分かもしれない」と戦々恐々としていた。

 さらに言えば、一度赤紙に従って戦地へ赴き、無事に帰ってきても安心はできなかった。赤紙が来るのは1回とは限らず、2回受け取るケースも少なくなかったからだ。なかには3回以上受け取った人もいたという。

 赤紙による召集が始まったきっかけは、日露戦争にあった。日清戦争の倍を超える57万3000人以上の現役兵と補充兵が投入されたこの戦争において、軍は兵員を補充し続けることの重要性を痛感した。

 とはいえ、それだけ多くの現役兵を抱えることは、国家財政の観点から不可能である。であれば、現役兵以外に、必要なときに在郷軍人を呼んで軍隊を編成すればよかろう。そう考えて行われたのが、赤紙による召集である。

 日本と同じく経済的に厳しかったドイツが、すでに在郷軍人による軍隊編成を導入しており、それを日本が真似たのだが、結果的にこの制度はよく適応した。家族制度が根付いていた日本では、戸籍が完備されていたため、どの場所にどれだけ若者がいるのか、把握が容易だったからだ。

 役場は20歳になる若者の名簿を作成して、軍に提出する。それに基づいて徴兵検査が行われ、現役兵に選ばれれば、すぐに入隊。それ以外の合格者は召集兵として、普段は民間人として過ごし、軍から赤紙が来れば、在郷軍人として軍隊に参加することになる。兵役が終わる40歳までは、赤紙のことが頭から離れない者がいたことだろう。

 表向きは軍隊に呼ばれるのは名誉とされていたが、喜んで戦地に赴きたい人などごく少数だったに違いない。赤紙をもらった人のなかには、家族を持つ男性も多かっただけに、なおさらである。冒頭の句のように「忘れちゃえ」と自分に言い聞かせでもしないと、とてもやっていられなかったのではないだろうか。



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