俳優の宮川一朗太(59)が13日、テレビ朝日「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)に出演。20年前離婚した妻を自宅で看取った経緯を明かした。
1983年、16歳で映画「家族ゲーム」でデビューし、一昨年には40周年を超えた。昨年は「光る君へ」で念願だったNHK大河ドラマに初出演した。私生活では20年前、30代で離婚をし、男手一つで2人の娘を育て上げ、2年前には次女に子供が生まれ、おじいちゃんに。その2年前には元妻を自宅で長女とともに看取るということもあったという。
宮川は「いろいろありまして、お別れすることになったんですけども、その後、元嫁さんは南の方に移住されまして。そちらの方で暮らしていたらしいですね。ですが、7、8年前にがんを患いまして。一旦、手術をして摘出をしたんですが、その2年後ぐらいに転移が見つかりまして。で、その時はステージ4という診断が下されて、住んでいる近くの病院ではちょっと治療が難しいので、東京に転院しましょうと。で、東京の方へ来て治療を頑張っていたんですけども、かなり末期になりまして。私も何回かお見舞いに行かせていただましたけど、“病院が嫌だ”と何回も繰り返すんです。病院の方とも話し合いましたら、末期ということでもあり、長い時間移動する体力はもうないので、南の方に戻ることは難しいと。なので、極力その病院、東京の病院から離れていない場所でお願いしたいと。そうなると、うちしかなかったものですから」と経緯を明かした。
「ただ、私も非常に逡巡がありまして。別れた元嫁を迎え入れるというのはどうなんだろうと。今嫁はいないんですけども、自分の中での葛藤がいろいろあった」と宮川。「長女が“私がお世話しますから。パパは時々面倒見てくれればいいから”と。“それなら、まあいいか”ということで迎え入れることになりました」とした。
長女が介護ベットや酸素吸入器などの手配をし、ヘルパーにも手伝ってもらいながらベッドに寝かせたといい、「元嫁としばらく不思議な生活が始まるのかなと思ったのですが、その翌日に旅立ちました。最期は僕と長女と(で看取った)。長女は非常に気丈に。大変パニックだったと思うんですけど。下の娘は残念ながら駆けつけている途中で間に合わなかった。たぶん“病院が嫌だ”と言っていたそのベッドから見る景色がきっとうちに来て、“あ、病院じゃない”って思ったんじゃないでしょうか。普通の家の屋根なので。そこでホッとしたのかな、なんて話したりもしたんですけども。何かすごく非常に不思議な経験をしました」と振り返った。
黒柳から「元奥さまとはどこかで話をすることはありましたか?」と質問。宮川は「最期の方は耳が聞こえなくなったりもしていたそうなんですけども、筆談ですとか、そういうのでお見舞いの時は会話をしておりました」と回顧。「これはちょっとご実談になっちゃうんですけど、(お見舞いで)僕が”じゃあ帰るね”って。かなり意識も混濁していたものですから。帰っても特に連絡もなかったので、“きっと僕が来たことも分からなかったかな”なんて、そんなことを娘と話したりもしたんですけど、旅立たれた後に、娘が遺品整理をしていたら、彼女の携帯がちょうど見ることが出てきたんです。そしたら、僕へ“お見舞いに来てくれてありがとう”っていうLINEが残ってたんですね。それは送信しないままで。だから、“ああ、やっぱり分かってたんだね”って。いろいろあって出会って、そして別れることにもなったりして、いろんなことがありましたけども、でも2人の娘と会わせてくれたのは間違いなく彼女ですから、本当に感謝しかありません」と話した。
偶然にも葬儀は宮川の誕生日だったという。「ちょうど3月に旅立たれて、簡素でいいのでやってくれるところを探しておりましたら、一番早く空いてる日がちょうど僕のお誕生日だったんですよ。その日が一番早かったから“その日でお願います”と言って。2年前の僕の誕生日に、彼女を見送りました。今後も誕生日が来るたびに絶対に思い出します」と苦笑した。