「大量の羊の死骸からサリンが…」「核兵器を本気で作ろうとしていた」 オウムがオーストラリアで進めていた驚愕の計画の全容


全4回の第3回

【秘蔵写真】凶漢の刃先と「刺されたことがまだわかっていない」表情の村井秀夫

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「サリンを70トンほど作りましょう」

 1993年夏、サリンの生成に成功したオウムでは、教祖・麻原彰晃(本名・松本智津夫)の元に幹部らが集められ、サリンの大量生産について話し合われた。最高幹部・村井秀夫は麻原の指示をそう伝える。それは人類70億人を死に至らしめる量だ。旧ソ連製の大型軍用ヘリコプターも購入し、空からばらまく計画を立てていた。これに対し後に自衛隊のヘリが臨戦態勢を取るほどだった。

 この93年には麻原から核兵器の調査の指示もあった。その調査に携わったメンバーの中に、オウム“武装化”のキーマンがいる。元オウム幹部・野田成人氏。麻原の側近として仕え、武装化の一端を任された人物だ。東京大学理学部でノーベル賞を目指していた頭脳を買われ、科学技術班(後の科学技術省)に所属し村井の下で動いていた。地下鉄サリン事件以降、一時オウムの後継団体の代表を務めていたが、2009年に「麻原を処刑せよ」と発言したことで除名になり現在は教団と一線を画している。

「核兵器を本気で作ろうとしていた」

 と、野田氏は語る。

「ウランの採れる土地がオーストラリアにあるから押さえたとか押さえるという話があり、出家信者が10名近くと科学技術班の村井ら10名の計20名ぐらいで行きましたね。麻原ももちろん行きましたよ」

 麻原は信者20人ほどを引き連れオーストラリアへと渡り、ウランの採掘と核兵器の開発を試みたというのだ。10年前、野田氏のこの話を聞き私もかの地へと飛んだ。



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