全4回の第3回
オウム真理教教祖・麻原彰晃の逮捕から今年5月で30年。地下鉄サリン事件は未曾有の大惨事となったが、その2年前、オウムはオーストラリアで極秘にサリンの実験を行い、さらには「核武装化計画」まで進めていた。現地で取材した報道記者が驚愕(きょうがく)の真相を明かす。
【秘蔵写真】凶漢の刃先と「刺されたことがまだわかっていない」表情の村井秀夫
***
第2回【「実行犯から遺体の場所が明かされたのに発見できず」 坂本弁護士一家事件、神奈川県警の深刻な捜査ミス 「“坂本は借金を抱えて失踪”と誤情報を報道機関にリーク」】では、地下鉄サリン事件の前に起きていた2事件について、捜査機関の落ち度などと併せて報じた。
「サリンを70トンほど作りましょう」
1993年夏、サリンの生成に成功したオウムでは、教祖・麻原彰晃(本名・松本智津夫)の元に幹部らが集められ、サリンの大量生産について話し合われた。最高幹部・村井秀夫は麻原の指示をそう伝える。それは人類70億人を死に至らしめる量だ。旧ソ連製の大型軍用ヘリコプターも購入し、空からばらまく計画を立てていた。これに対し後に自衛隊のヘリが臨戦態勢を取るほどだった。
この93年には麻原から核兵器の調査の指示もあった。その調査に携わったメンバーの中に、オウム“武装化”のキーマンがいる。元オウム幹部・野田成人氏。麻原の側近として仕え、武装化の一端を任された人物だ。東京大学理学部でノーベル賞を目指していた頭脳を買われ、科学技術班(後の科学技術省)に所属し村井の下で動いていた。地下鉄サリン事件以降、一時オウムの後継団体の代表を務めていたが、2009年に「麻原を処刑せよ」と発言したことで除名になり現在は教団と一線を画している。
「核兵器を本気で作ろうとしていた」
「93年の頭ぐらい、核兵器について調べるという話がありました。最初は調べるだけだったが、本気で作ろうとしていましたね」
と、野田氏は語る。
「ウランの採れる土地がオーストラリアにあるから押さえたとか押さえるという話があり、出家信者が10名近くと科学技術班の村井ら10名の計20名ぐらいで行きましたね。麻原ももちろん行きましたよ」
麻原は信者20人ほどを引き連れオーストラリアへと渡り、ウランの採掘と核兵器の開発を試みたというのだ。10年前、野田氏のこの話を聞き私もかの地へと飛んだ。