全4回の第2回
オウム真理教教祖・麻原彰晃の逮捕から今年5月で30年。地下鉄サリン事件では14人の死者と約6300人の負傷者を出す大惨事となったが、捜査機関は“負の連鎖”でオウムの暴徒化を防げなかった。長年、オウム取材を続けてきた報道記者がその全貌を明かす。
【秘蔵写真】凶漢の刃先と「刺されたことがまだわかっていない」表情の村井秀夫
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第1回【「私がいなくなったら、警察に『オウムの仕業』と言って」 最後まで妹を守り亡くなった假谷清志さん監禁致死事件 記者が語る捜査機関の”負の連鎖”】では、オウム事件の捜査が急展開したきっかけとなった、1995年2月の目黒公証役場事務長・假谷清志さん監禁致死事件について、当時の捜査についてまとめた。
假谷さんを拉致したレンタカーは特定されたものの、借主Aとオウムの接点が見つからない、という障壁があった。「假谷さん事件も解決できないのか」という暗澹(あんたん)たる空気が捜査本部に漂い始める。
当時、大崎署で捜査の現場指揮にあたっていたのは刑事防犯課長の佐久間正法氏。事件発生から10日ほどたって、同氏に大崎署の警備担当の幹部から「刑事課長、お話ししたいことがありますので席へ来てください」と突然連絡が入る。連絡してきた警備担当は警察学校の同期でもあった。
話を聴くと假谷さん事件の10日ほど前に、警備担当が警邏(けいら)中に不審車両を見つけ、運転手を職務質問していたという。不審車両は管内の警備対象の会社付近に止まっていた。近づくとナンバーに白いテープが貼ってあり、剥がすと「わ」の文字が現れた。つまりレンタカーであることが分かったのだ。
ようやくつながった事件とオウム
車内の後部座席には、三脚を立てビデオカメラを設置しているのも見えた。不審な思いがますます強まり、警備担当は運転手に職務質問をかけるが、窓も開けず押し問答が続いた。30分ほどたちようやく窓を開け、免許証の提示を求めるとBという人物であることが判明した。
捜査本部で調べたところ2月17日と19日、いずれも先の三菱デリカと同じAの名前でレンタカーを借りていたことが分かった。しかし車を借りる際に書く「運行前点検表」から指紋を採取したところ、借主であるはずのAとは一致しなかった。
そこで職務質問をかけたBの犯歴を調べたところ、過去に千住署管内で「尾崎豊来る」などのビラを電柱に貼っていたとして「軽犯罪任意被疑者の指紋採取」がされていたことが判明する。その指紋と点検表のものとが一致、さらにはBがオウム信者ということも確認された。つまりBがAになりすまし、犯行に使われたレンタカーを借りて假谷さんを拉致したという構図が解明できた。假谷さん事件とオウムがようやくつながったのである。