宮古島で居酒屋を営む赤坂晃、光GENJI解散の真相や再結成の可能性ついて言及「僕以外のメンバーの中で話がまとまっていた」


【映像】パラダイス銀河を歌う赤坂晃(52)と大沢樹生(56)

 1973年、東京都国立市で生まれた赤坂。ジャニーズファンだった姉が事務所に応募し、14歳の時、光GENJIの最年少メンバーとしてデビューした。

赤坂「部活に近いですね。例えばライブに向けてフリを覚えたり、バク転の練習もしたりとか。ローラースケートの練習もしなきゃいけないし。歌も覚えて、歌の練習もして。ぶっちゃけここだけの話、グループ内でもありましたよ、上下関係が。僕が中学2年生でデビューしているんですけど一番上が20歳くらいだったので、どうしてもそういう関係は生まれてきてしまうので。僕らが最後じゃないですかね?そういう関係性を持ったグループっていうのは」

 グループは瞬く間に人気になり、日本の音楽チャートを席巻した。一方で、世間からは「メンバー同士の不仲」が噂されていたそうだが…。

赤坂「いや…仲悪かったんじゃないですか?悪いというか、リスペクトはしてるんです。でもどっか子どもな部分があって素直に会話ができないというか。みんな俺が俺がって。意見のぶつかり合いがよくありました。喧嘩はね、陰湿な喧嘩でしたね。しばらく口聞いてくれなかったりとか。今だから話せるんですけどね。可愛いもんですけどね」

 人気絶頂の中、1995年、光GENJIの活動は8年で幕を下ろした。その理由は…。

赤坂「事務所の光GENJIのイメージっていうのがあって。でも僕らは日々大人になっていくわけで。例えばいつまでもキラキラな衣装を着たりとか可愛い感じの曲を歌ったりとかが身の丈に合わない。窮屈に感じてきて。なので自分のやりたいことをやりたいって欲が出てきたのかなって思います。メンバーから電話かかってきて『ちょっと事務所の上の方に話をしにいく。だから集まってくれないか?』って。そして集まったら『辞めるって伝えに行くから』って聞かされて。『え?何の話ですか?』ってそれで事情を知った。僕の中では衝撃的でしたよ。抜けるって言っているメンバーは知ってましたけど、抜けるんじゃなくて『解散だ』っていうんで、なるほどそういう風に話がまとまっているのねってことでびっくりしましたけど。僕以外のメンバーの中で話がまとまっていたみたいですよ」

 解散から30年。メディアで元メンバーと交流することが増えてきたといい、ファンが再結成を待ち望んでいる。

赤坂「再結成ですか?難しいなとは思いますよ。僕もう時期52歳じゃないですか。上が56、57…僕はまだあと3年くらいは余裕で猶予があると思うんですけど。上はね、還暦迎えたらローラーなんて履けないから。やるんだったらぶっちゃけ早い方がいいんじゃないかって。別にそのまま7人集まってそこからまたやっていこうってわけじゃないし。企画もので一夜限りでもいいですし。でも待ってる人がいるんであれば…そういう考え方もありなんじゃないかと。やりたくない人はいないんじゃないんですか?だけどやっぱ歯車は噛み合わず」

――再結成、どれくらい可能性ありますか?何%ですか?

赤坂「……7%!ハハハハ」

――(光GENJIの曲を作っていた)ASKAさんは光GENJIをお世話していたんですか?

赤坂「光GENJI愛はすごいですよ。やばいですよ」

――歌い方とかから色々教えてもらったのですか?

赤坂「そんなのみんな教えてもらったよ、ふわぁ〜んふわぁ〜ん(ASKAさんの真似して)…それはないですよ。ハハハハ。先見の明もそうですけど、先を読む力もそうですけどああいう歌詞が降りてくる事自体ぶっ飛んでるよね。師匠です、師匠」

 騒動後、赤坂が再びマイクを握ったのはある思いからだそうで…。

赤坂「その後にもう一度歌ってくださいって声をたくさんいただいたので歌った感じです。ファンの方含めて見たい方が僕のこと見てくれれば満足。未練というか…。今何が好きなのか、何やりたいのかって言ったら“歌”なんです。そうですね、青春を捧げましたよ。酸いも甘いもあのグループで知りましたし。うちの親父は嬉しく思ってたみたいですよ。歌番組終わって家帰ると『これサインちょっと書いてくれないか』『全然いいよ』ってこのくらいかなと思ったらこんな量。俺は関取じゃないんだからって。でもそう思ってもらえていたのが、嬉しいですけどね」



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