映画「桐島です」に出演
「1年半で7本もの映画に出演させていただいたこともあるんですよ」
今年だけで舞台3本に出演と、多忙な女優の高橋惠子(70)に過密スケジュールではないかと向けたところ、そんな答えが返ってきた。(全4回の第1回)
【写真】15歳、デビュー当時は透き通るような美しさ。幼少期、20代、30代の高橋惠子
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1970年に映画「高校生ブルース」で鮮烈な主演デビューを果たした15歳から半世紀以上。出演とプロデューサーも務めた映画「桐島です」(2025年7月公開)が、今年3月に第20回大阪アジアン映画祭でクロージング上映された。その際、夫の高橋伴明監督(76)らの舞台挨拶にサプライズで登壇して会場を沸かせた。
新左翼過激派メンバーで、1970年代の連続企業爆破事件に関与したとされた全国使命手配犯桐島聡が、49年にわたる逃亡生活の末、2024年に病死。その際に本名を名乗った人生にインスパイアされた作品だ。
「まだ脚本になる前でしたけど、作品のタイトルを聞いてこれはいいものになると直感して、どんな役でもいいから出させてって夫に直訴したんです」などと舞台から観客にエピソードを披露していた。
インタビューを申し込むと、自宅からほど近い私鉄駅前の喫茶店で時間をつくってくれた。映画「桐島です」に出演したいと申し出たときの伴明監督の反応などを質問すると、こう言った。
「おお、そうかって。現場に行くと監督と女優という意識に戻りますので、こうして欲しいとか急に言われたりして、あぁ、そう来たかと思ったりしていました」
伴明監督作品への出演は「赤い玉、」(2015年)以来だが、主演映画「DOOR」(1988年)の際には、撮影中に夫婦が一時的に別居していたことが話題になった。
「あのときは夫がホテル住まいをして、一緒に現場に入るより、監督と女優として撮影中は離れて暮らした方がいいだろうって夫の判断でした。洗濯物を預かって、家で洗濯していました」
撮影は1日13時間以内に制限
今回は別居することはなかったそうだが、「桐島です」では別の話題が報じられた。伴明監督が脚本家の梶原阿貴氏に「(脚本を)5日で書け」と無茶ぶりしたという。後日、梶原氏からは「惠子さんも『書けるわよね』って仰ってました」とバラされてしまい苦笑いしたという。
「梶原さんは、わたしが(無理を言う監督を)止めてくれると思っていたのに、『フォローがない』って思われてしまったのでしょうね。でも、きちんと全部下調べをしていて、見事に台本を仕上げられて、すばらしいと思いました」
昨今は、仕事の受発注でも、ハラスメントとされかねない。とりわけ映画の撮影現場では、かつては、早朝から深夜まで続くのが当たり前、徹夜という話も少なくなかった。
日本の場合、上下関係からのハラスメントや、いわゆる男社会で撮影後に酒を酌み交わすような「豪快」エピソードが語られてきた。そもそも出演者は野外ロケや強い照明を当てられる中での演技となり、体力的にも厳しい条件下に置かれている。
ようやく近年、撮影時間は1日8時間までと定めるフランスや韓国などに近づきつつある。日本でも労働環境改善への取り組みが進められ、労働時間の管理や休憩時間の確保が重要視されているのだ。
スタッフやキャストの健康を守るために、撮影スケジュールを1日13時間以内に制限するガイドラインを、日本映画制作適正化機構は出している。こうした変遷をどのように見ているのか。
「良い面と良くない面の、両方ありますね」と、高橋はこんな持論を語ってくれた。
「芸能界だけのことではないでしょうけど、やはり男性社会で、男性が仕切り、男性目線で進められていて、映画の場合、描かれる女性像も男性から見た理想像のものが多かった気がします。昔、撮影現場には女性は1人いればいいほうで、衣装さんやメイクさんも男性だったりしました。
ある現場では、編集の助手に1人女性がいて、とても珍しいと思ったことを覚えています。そういう点は本当に変わりました。男女半分まではいかないまでも、雑誌の記者も男性がほとんどだったのが、いろんなところで女性の姿を普通に見るようになった。働き方という意味でも、女性の意見が取り入れられるようになったのは良いことだと思います」
そして、こう続けた。
「ただ、時間の規制はどうでしょうか、何時から何時までと区切ることも大切だとは思うのですが、本当にそんな四角四面なやり方でいいのかなと思うことはあります。映画の現場は、ものづくりの現場ですから、職人気質といいますか、今、すごくノッているから、この感じで続けたいというときもあります。いいシーンが撮れそうだから、続けたい。でも、そういうときでも『時間です』って区切られてしまうと、どうしてだろうなあって思ってしまうことも時々あるのです。
ものをつくる共同作業の現場では、いろんな意見を交換し合ったり、それを調整したりする人も必要だと思っています。日本では思いやりや察する心があり、そこまで権利を主張し合わなくても、うまくいっていた面もあるような気がするんですよ。
たしかに(日本流で)あまりに酷かった面もあり、こき使われると思われるようなところは考えなければならないけど、がんばって皆でいいものをつくりあげた達成感を削がれてしまっては……とも思うんです。芸術的なものに杓子定規をあてるばかりではなく、決められたものでも(変更し)越えていかなければならない時があり、それは課題ではないかと思っています」
高橋は時間エンドレスの労働環境のなかで女優を続けて来た当事者でもある。
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第2回【40年前に「逃避行」スキャンダルも揺らがず SNS時代に70歳・高橋惠子「今を生きる」ブレない矜持】では、今も第一線で走り続ける矜持を語る。
高橋惠子
1955年、北海道出身。1970年、映画「高校生ブルース」でデビュー。ドラマ「太陽にほえろ!」のシンコ役で人気に。1982年に監督の高橋伴明氏と結婚。映画・舞台・テレビで活躍を続けている。
デイリー新潮編集部
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