大罪を犯すヒロイン…「あんぱん」は朝ドラ史上最も残酷な物語に 空虚な正義と身近な正義が対立


豪の死と姉妹の衝突

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 戦死を知らされる前の蘭子は連日、早朝に起き、石材店の壁に掛けられた豪の作業着を撫で、握りしめていた。よほど恋しかったのだろう。

 作業着の裏には豪の1年後の満期除隊日までの残り日数が記された冊子が隠されており、蘭子は新たな1日が訪れるたび、残り日数にバツ印を付けていた。豪の復員を待ち焦がれていた(第35回、36回)。

 2年前の1937(昭和12)年、出征前の豪は蘭子に生還を固く約束したはずだった。「豪ちゃんのお嫁さんになるがやき、もんてきてよ」(蘭子、第29回)、「もんてきます。絶対に」(豪、同)。

 しかし、八紘一宇(全世界を一つの家にすること)の理想の下に徴兵された兵士のうち、日中戦争では約41万人もが命を失った。豪もその1人。1939年(同14年)のことだった。

 女子師範学校を出て母校の御免与尋常小学校の国語と体育の教師となったのぶも八紘一宇を信じ切っていた。なにしろ女子師範学校で国家主義を叩き込まれている。

 在学中は戦地に慰問袋を送る活動が評価され、それが新聞に載り、「愛国の鑑」と呼ばれるようになった。このため、やや有頂天にもなっていた(第30回)。

 教師になってからの綴方(文章作成)の授業では、児童が「はようお国のためにご奉公したいと思います」と書くと、「立派な心掛けです」と誉め讃えた。道行く子供が「お国のために戦います」と勇ましい言葉を口にすると、「えらい、えらい」と目を細めた(第36回)。

 豪の戦死を知った際も「豪ちゃんは、お国のために立派にご奉仕したがです」と毅然と口にした。あまりにも人間味の感じられない言葉だが、国家主義者としては当然の思いだったのだろう。

 悄然とする蘭子には「立派と言ってあげなさい。豪ちゃんの戦死を誰より蘭子が誇りに思ってやらんと」と声を掛ける。やはり、のぶの自然な胸の内であり、慰めたつもりだった。

 だが、普段は大人しく控えめな蘭子が猛反発する。「どうして。豪ちゃんはもう戻って来ないのに」。のぶが悪びれることなく「今、国民は東洋の平和を図ることが大事ながや」と諭すと、蘭子は険のある目つきで言い返した。

「本気でそんなこと思ってるの。子供たちにもそう教えちゅうがかや? 兵隊になって戦争に行きなさい、命を惜しまずに戦いなさいって。豪ちゃんみたいに名誉の戦死をしなさい、戦死したら、立派やって言いましょうって」

 のぶが「そうながよ」と答えると、蘭子は「そんなの嘘っぱちよ」と気色ばんだ。のぶが女子師範学校に入る前、蘭子は反対する祖父・朝田釜次(吉田鋼太郎さん)の説得に力を貸し、「お姉ちゃんの夢はうちの夢や」(第13回)と訴えたが、2人の考え方は完全に違ってしまった。



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