先週、メディアを賑わせたニュースのひとつは江藤拓農水相の辞任だった。〝ウケ〟を狙うあまりの虚言、妄言によって職を追われたというのだから、怒りよりむしろ憐れみすら感じる。
過去、舌禍によって更迭または落選の憂き目をみた例は枚挙にいとまがない。つい口を滑らせたという程度から、自らの信念を吐露した確信犯までさまざまだ。
雄弁で人の心をつかむはずの政治家が、舌先三寸で転落した自責の念が伝わってくるようだ。
受け狙いの作り話が騒ぎ招く
江藤拓氏の辞任劇ついては、連日詳しく報じられたが、改めて各メディアから発言を引用する。
「私もコメは買ったことがない。支援者がたくさんくださり、売るほどある。いつも家で精米しコイン精米機に持っていく」(18日、佐賀市内での会合での発言)
「玄米で買って精米して食べてもらいたいと伝えたくて、誇張した発言になった。私は東京で定期的に米を買っている」(19日、首相官邸でのお詫び発言)
石破茂首相は当初、留任させる考えだったと伝えられるが、江藤氏が「(発言)撤回ではなく修正だ」と強弁するなど反省の色を見せず、野党5党が農水相不信任案を提出、可決される可能性が生じたことから、更迭を決断した。
江藤氏の後任には小泉進次郎元環境相が起用され、同氏の下で今後の米価対策が進められることになる。
以上が江藤辞任をめぐる動きだ。
江藤氏の父、故隆美氏も、村山富市内閣の総務庁(当時)長官だった1995年に「植民地時代に日本は悪いこともしたが、いいこともした」との発言が批判され、長官を辞職している。
拓氏自身、2010年、民主党政権時代に当時の法相の失言をブログで手厳しく批判、これが5月20日の参院農林水産委員会で追及され、「ブーメラン」(産経ニュース)と揶揄された。江藤父子は失言と深い因縁があるようだ。
過去に江藤氏と同様の失言
石破内閣ばかりではなく、過去にもしばしばみられた舌禍による辞任は通常、「失言」としてひとくくりにされるが、吟味してみると、特徴ごとにいくつかのパターンに分けることができる。
専門家による分類には、口が滑る「感情型」、迷走してよけいなことを口走る「迷子型」があるというが(『失言の2パターン「感情型」と「迷子型」…口を滑らせ話も迷走の江藤前農相は「混合パターン」』5月22日、読売新聞オンライン)、筆者はあえて独断と偏見で、3通りのカテゴリーに分けたい。
ひとつは、いわば、たわごと・ざれごとを弄す虚言・妄言型。もうひとつは、ぼんやり、無能によって無知や思いやりのなさを露呈してしまうケース。これに加え、一定の定まった評価に対して、あえて持論を披瀝して挑戦する確信犯型がある。
今回の江藤農水相のケースは、誇張が明確だから、「たわごと」「虚言」にぴったりあてまる。23年4月の谷公一国家公安委員長(当時)の発言も、この類だろう。
岸田文雄首相(当時)が遊説先の和歌山県内で爆発物による襲撃を受けた時、谷氏は「(公務で出張中)うな丼を食べようとしていて報告を受けた。うな丼はしっかり食べさせていただいた」。ユーモアにしては面白くもないが、治安を預かる責任者としての自覚の薄さが問題となり、国会で野党から追及された。
さきにふれた民主党政権時代の法相発言。10年11月、柳田稔法相が地元・広島での国政報告会で「法務大臣はいい。〝個別案件についてはお答えを差し控えます〟と〝法と証拠に基づいて適切にやっております〟のふたつだけおぼえておけばいい」と放言、8日後に菅直人首相(当時)に辞表を提出した。
同じ法相の不祥事。岸田前内閣時代の22年8月、初入閣した葉梨康弘氏は同僚議員のパーティーで、「法相は死刑のハンコを押すだけの地味な仕事」などと述べ、在任3カ月で辞表提出を余儀なくされた。
法制度の維持、矯正、入国管理など幅広い任務を担うという自らの職責を理解しないのは、たわごと、ざれごとよりもっと罪が深いというべきかもしれない。それにしても、日夜激務にいそしみながら、たびたび閣僚の自嘲のツマにされる法務省の職員はどれだけ悔しい思いをしただろう。