収監された女子受刑者が妊娠していた場合、刑務所では出産のサポートを実施している。破水した受刑者は手錠と腰縄を打たれて車に乗せられ、刑務所外の産科病院へ急ぐ。助産婦、看護婦、そして刑務官に見守られながら生を受けた子供は元気に泣き、母も喜びの涙を流した。だが、母子がともに過ごせる時間はわずかだった……。※本稿は、山本譲司『出獄記』(ポプラ社)の一部を抜粋・編集したものです。
● 捕縛と手錠のまま 女性受刑者が出産
あの子がこの世に誕生した時──。それは、何度思い出しても、感動的な場面である。高田恵子(編集部注/刑務官)は、今もその出産時の情景が、頭から離れない。
分娩室に入ってから、1時間ほど経ってからだった。浅村花江(編集部注/受刑者)が凄まじい形相になって、必死に息む。上半身を半分起こした姿勢で、分娩台の両脇にあるグリップを握り締める。右手の手錠はかけられたままだが、その自由を奪っていた捕縄は、鉄枠から外され、四ツ谷が手にしていた。
開いた足の間から、赤ん坊の頭の一部が出てくる。頭が、ゆっくり右回りに回転し、だんだん大きくなっていく。おでこが見え、鼻が見えてきた。その瞬間、飛び出てくるようにして全身が現れる。助産婦が抱き取った時、産声が聞こえてきた。
ハサミを持った医師が、臍帯の2カ所を留め具で挟み、その間を切断する。
恵子だけでなく、助産婦も看護婦も、そして四ツ谷も、赤ん坊と花江の様子を交互に見ていた。
助産婦が、赤ん坊の顔を、花江のほうに向ける。
「元気な女の子ですよ」
花江は、今にも泣きだしそうな顔をしていた。
「お母さん、抱っこしてみてください」
助産婦が、赤ん坊を花江に抱かせようとする。
しかし四ツ谷秀美(編集部注/恵子の先輩刑務官)が、手でそれを制した。
産まれたばかりの子を母親に抱かせることも規則違反なのか。
いや、違った。四ツ谷は、花江の右手にかけられた手錠を外している。そちらのほうが規則違反なのかもしれない。けど四ツ谷は、子供を抱かせる前に、あえて、そうしているのだ。
花江は、手錠も捕縄もない手で、包み込むようにして我が子を抱いた。えくぼが浮かぶ頬には、大粒の涙が伝う。
● 祝福されずに生きてきた女は 刑務官の「おめでとう」に感極まった
「浅村さん、おめでとうございます」
四ツ谷が言った。恵子も慌てて言う。
「花江さん、おめでとうございます」
突然、花江が声を上げて泣きだした。
彼女は、しゃくり上げながら話す。
「うち、人生の中で……、人から『おめでとう』ゆわれたことなんか、なんぼも……、なんぼもない……。まさか……、受刑中に『おめでとう』ゆわれるとは、思わへんかった。せやけどな……、それもな……、この子のおかげや。うちな……、この子に感謝して、ほんま、一生懸命育てるわ」
その言葉に嘘はなかった。
本当に花江は、一生懸命だったようだ。入院中は、ひたすら育児関係の本を読んでいたらしい。子供と一緒にいる時は、絶えず話しかけていたという。
産まれた子は、「知恵子」と命名される。花江が名づけたのだ。
恵子にとっては、こそばゆさを感じるような話だが、あとで花江に、こう打ち明けられた。
「高田先生みたいに綺麗なってもらおう思うて、『恵子』の字、いただいたんよ。それから『知』の字は、こうゆうことなんやわ。うちって、ほんまアホやろ。せやからね、うちみたいにならんよう、『知』の字つけて、賢うなってもらおう思うて、知恵の子にしたんや。ええ名前やろ」