無政府状態となり社会が崩壊したソマリアでは、住民の多くが生きるために海賊に身を投じた。小さな高速ボートに乗りロケットランチャーなどで脅して停めさせ、タンカーや貨物船を乗っ取る。そして船会社から身代金を取るのだ。そんな海賊の1人が、府中刑務所に収監され、処遇困難な受刑者が集まるエリアで心を閉ざして生きていた。※本稿は、山本譲司『出獄記』(ポプラ社)の一部を抜粋・編集したものです。
● アフリカから来た受刑者は まったく心を開かない
中にいる黒人男性の名前は、マッハムード。年齢は、推定で27歳だという。こけた頬と、梟のように大きく鋭い目が特徴的だった。6年8カ月前に、アフリカのジブチから連れてこられ、日本で裁判を受けた結果、彼は今、ここにいる。府中刑務所に収監されてからは、すでに3年半以上が経過していた。
けれども彼は、一度も職員と口を利いたことがない。何を話しかけようが、表情を変えることすらしないのだ。当初は、一般工場に配役されたらしい。だが、作業机に着くこともなく、ただ佇立しているだけだった。当然、遵守事項違反の「作業拒否」ということで、懲罰房送りになる。その累計は、20回を超えていた。それでも彼には、まったく変化がなかった。とにかく、何事に対しても反応が見られないのである。
三浦勝一(編集部注/教育専門官。受刑者たちへの矯正教育を担当)は、経験上、理解していた。反抗的な者よりも、より扱いが難しいのは、無反応な者だと。マッハムードの場合は、そもそも、こちらが話している内容を理解しているのかどうかも分からない。
通路に面した視察窓から、居室内を覗く。部屋は3畳ほどの広さで、奥に、洋式トイレと洗面台が設置されており、マッハムードの横に、小さな座卓があった。彼は、畳の上に片膝を立てて座り、じっと壁を見つめていた。
三浦は、覚えてきた言葉を投げかけてみる。
「スバハ ワナーグサン」
インターネットで調べた言葉で、〈おはようございます〉という意味のソマリ語だ。
マッハムードからの反応はない。
● 読み書きすらできない遊牧民が アラビア海で日本のタンカーを襲った
マッハムードが裁かれたのは、海賊対処法によってだ。それは、2009年に施行された法律で、彼が最初の適用者だった。
彼は、アラビア海において、海賊行為をはたらいたのだ。仲間とともに、日本の海運会社が所有するタンカーを襲い、乗組員を人質にとろうとしたのである。身代金目的の犯行だった。しかし、救助にきたアメリカ海軍によって、あっという間に取り押さえられる。
その後、法律にもとづいて海上保安庁が、マッハムードを含め、被疑者4名の身柄を引き取り、日本に連れてきた。
マッハムードに下された判決は、懲役10年だった。
弁護側は、最終弁論でこう述べた。
「厳罰に処すべきは、彼らに海賊行為をさせた、今もソマリアにいる頭目です。犯行現場における被告人は、他の3人に脅され、見張り役をやったまでです。被告人の生い立ちについて申し上げますが、彼は、内戦のため、子供の頃に避難民となり、学校教育も受けておらず、字の読み書きもできません。彼が、海賊に参加したのは、極貧状態にある家族を救うためでした。それほど過酷な環境に置かれたのも、被告人自身では変えられない外的な要因によるところが大きかったと思います」
外的な要因は、内戦だけではなかった。ソマリアは、ほかにも危機的な問題に直面している。それは、気候変動だ。干ばつが続き、多くの人々が、これまでの生活様式を変えざるを得なくなっていたのだ。
かつて、ソマリアの主要産業は、ヤギや牛などを飼育する畜産業だった。全国民の3人に2人が、遊牧生活を送っていたという。