睾丸摘出、くも膜下出血で搬送も…60歳になった「爆笑問題」田中裕二と太田光が今までずっと漫才を続けてこれたワケ


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 田中裕二が1月10日に、太田光が5月13日にそれぞれ還暦を迎えた爆笑問題。大学での出会いから始まり、1988年にコンビ結成すると、時代を象るネタや発言で注目を集めてきた。デビューからずっと漫才を披露し続けている彼らの関係性とは?(全2回の2回目/ はじめから 読む)

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 思えば、太田光はこれまで多くの政治家や知識人とテレビなどで共演しては、ときに激しく言い争ってきたが、誰に対しても、自分のフィールドに引き込むというよりは、相手の土俵に上がって発言している印象がある。その原点はどうやら高校時代にあるらしい。

「学校を拒否したら、学校を批判出来ない」

〈《学校を拒否したら、学校を批判出来ない、と思っていた。というよりも、拒否するならば、批判する必要などないのだ。それは、学校にうまく順応出来ない落ちこぼれである私が、学校と対等の立場でいるためにギリギリ必要な自負だったのだと思う。一日も欠席してないという自負によって、私は学校に対して、引け目を感じずに批判出来る対等な立場にいられた》(爆笑問題『天下御免の向こう見ず』二見書房、1997年)〉

 現在の彼は、政治や社会問題などについて専門家と話し合うたび、相応の下調べをして臨んでいる。学校と対等の立場でいるべく登校を続けたエピソードからはその片鱗が見て取れる。

 近年の太田は、さまざまな事件で特定の個人や集団が人々から一方的な非難にさらされるたび、それに疑問を呈しては、SNSなどで「逆張り」といった言葉をぶつけられてきた。しかし、彼としてはあくまで公正に物事を捉えようとしているだけにすぎないように思う。かねてより、話がいつも長いと怒られると自虐も口にしてきたが、それも複雑なことを正確に表現するにはしかたがないといえる。



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