パンクロックバンドHi-STANDARD/NAMBA69の難波章浩が、地元新潟の角田浜にラーメン店「なみ福」をオープンしたのが2022年9月。近年老舗の“後継者不足”による閉店が相次ぐなか、自身のソウルフードだと語る新潟の名店「楽久」の味を守るため自ら手を挙げ、その味を引き継ぎ、さまざまな苦難を乗り越え、多くの人が訪れる人気店へと成長させてきた。そんな同店が6月9日、東京・浅草に新店をオープンする。なぜ浅草だったのか、なぜ多額の私財を投じてこのプロジェクトを推進するのか。そして自身の2つのバンドを含む音楽活動への思いとは。難波がORICON NEWSに本音を語る。【独占インタビュー前編】
■浅草出店の理由
難波は今年2月、自身のSNSで「なみ福浅草プロジェクト」を発表。「僕たちは本気で『なみ福の優しい味を世界に届けたい!そして新潟にもっと来てもらいたい』と思っている」と意思を表明し、東京・浅草での店舗オープンすることを公言した。そもそも、なぜ浅草だったのだろうか?
「小さいころから結構移住をしていたんですよ。19歳でハイスタを結成して、30歳で活動休止後、沖縄に行くんです。その後38歳のときに、故郷の新潟に戻るか、東京にいくか。その時に家族の介護もあって、新潟に戻るんです。でもHi-STANDARDやNAMBA69の活動もあって東京での仕事も多くて。新潟と東京は近いんで、2拠点で生活を始めて。その2拠点目が、実は浅草だったんですよ」
新潟と浅草を行き来する生活を15年続けるなかで、「浅草でオープンしたい」という思いは高まっていったという。
「『なみ福』をやりはじめて、もっとやらなきゃいけないことがたくさんあったんでしょうけど、『いつか東京で、浅草でなみ福をやってみたい』という思いは(新潟角田浜本店を)オープンした直後くらいからあって。それである日、浅草を散歩しているときに出会ってしまったのが、この店舗だったんです。ただただ、かわいい建物だなって。古い古民家だったんですけど」