日本で最も著名な考古学者の一人、宮本一夫氏が中国の四川大学の客員教授に就任するという発表が、中国国内のSNS上で激しい反発を招き、同大学は関連のお知らせをウェブサイトから削除しました。この出来事は、「中国の大学なのに、なぜ日本人を雇うのか?」「四川大学は狼を招き入れ、文化スパイを導入している」といった、主に愛国的なネットユーザーからの根拠のない非難が原因とされています。
四川大学のこの動きは、中国国内の大学における学術交流や外国人学者招聘に対する、高まる国内からの圧力と政治的な敏感さを示しています。本来、米中貿易戦争が続く中で、日中関係の改善や文化交流の推進は中国の国益や外交理念に合致するはずであり、新華日報のような国営メディアもこの招聘を報じていました。しかし、大学側は反論することなく、静かに発表を撤回する形となりました。
このような外国人学者の招聘に関する問題は、四川大学にとって初めてではありません。2021年には、中国社会に関するノンフィクション『リバータウン』で知られるアメリカ人作家のピーター・ヘスラー氏を助教として招聘していましたが、米中関係の悪化を背景に契約が更新されませんでした。
[中国の大学から日本人学者が追放される様子を描いた風刺漫画]
さらに広範な問題として、中国の大学における学問の自由や監視の現状が挙げられます。北京のある名門大学の教授は、「私の教室には常に6台の監視カメラが設置されている。授業中は言葉を慎重に選ばなければならない。ひとこと間違えれば罪の証拠になる」と明かしています。大学キャンパスへの立ち入りには政府の顔認証システムが必要とされ、学生による教師の「不適切発言」の密告も推奨されています。過去十数年間で、「日本人は完璧主義」「中国経済の70%は輸出に依存」「数学や物理は西洋から伝わった。マルクスも西洋のもの、家電製品も西洋の発明だ」といった発言を理由に告発され、解雇された教師は少なくありません。
このような状況下で、中国の大学は「空気を読む」ことに長けています。各地の大学は次々と「習近平思想研究センター」を設立しており、こうした政治的に安全な「研究」を増やすことで、外部からの弾圧や内部告発のリスクを減らそうとしていると見られます。
この学問への圧力と政治思想への傾倒の傾向は、中国大陸にとどまらず香港にも波及しています。2024年からは、「習近平思想」が香港の中学生向け「愛国教育」のカリキュラムに組み込まれました。数年前まで民主化運動の中心地であった香港の大学キャンパス内に、将来的には同様の「習近平思想研究センター」が設立される可能性も指摘されています。
今回の宮本氏招聘撤回の一件は、国際的な学術交流を進めることの難しさとともに、中国国内における思想統制の強化と、それが大学という学問の府にも深く浸透している現実を浮き彫りにしています。
関連人物プロフィール
- 宮本一夫氏:
京都大学文学部史学科を卒業後、2002年から九州大学教授を務める。専門は東アジア考古学で、農耕や青銅器の起源、国家形成の比較研究などで知られる。米芸術科学アカデミーの外国人名誉会員でもある。 - ピーター・ヘスラー氏:
1969年生まれ。プリンストン大学卒業。1996年から2年間四川省で英語教師を務めた経験を基に、中国社会に関するノンフィクション『リバータウン』を執筆した。2007年までフリージャーナリスト・特派員として中国で取材・執筆活動を行った。