「おめぇら、いづまでも調子んのってんじゃねえかんな」という茨城弁の決め台詞で知られるお笑い芸人、赤プルさん(47)。テレビ番組で人気を博した彼女のキャリアの裏には、地元・茨城での波乱に満ちた中学時代がありました。真面目な優等生だった赤プルさんが、いじめを経験し、不良仲間との出会いを経て自己の居場所を見つけていく過程は、日本の社会構造や地域文化が個人の人生に与える影響という点でも示唆に富んでいます。
中学時代のいじめと不良仲間との出会い
赤プルさんは幼少期、学級委員に立候補するなど、積極的で真面目な子供でした。しかし、中学に進学すると状況は一変します。親友とのささいな喧嘩をきっかけに、バスケ部の友人たちから仲間外れにされ、やがてクラス全体から口をきいてもらえなくなるという、深刻ないじめに直面しました。
「優等生だった自分に居場所がない」と感じ、教室に入ることすらためらわれた赤プルさんが廊下でうずくまっていた際、意外にも校内を徘徊していた不良グループのメンバーから声をかけられました。彼らは彼女に優しく接し、仲間を大切にする彼らの姿に触れたことで、赤プルさんは不良グループとの交流を深めていきます。
持ち前の目立ちたがりな性格とリーダーシップを発揮し、気づけばそのグループの中心的な存在になっていました。赤プルさん自身、その時期を「楽しくグレた」と振り返ります。小学校の卒業式で担任の先生から「ゆうこちゃんは不良にならないでね」と言われたエピソードにも触れ、当時の自分の中にすでにヤンキーになる予兆があったのかもしれないと述懐しています。
お笑い芸人・赤プルさん(47歳)
地元・茨城のヤンキー文化
赤プルさんの地元・茨城は、ヤンキー文化が根強く残る地域でした。当時は「一つの街に一つのグループ」という暗黙の了解があり、すでに対外的にも認知されているレディースグループが存在していたといいます。
そのため、赤プルさんたちが新たにグループを結成しようとした際、隣町のグループからの妨害に遭い、結局立ち上げには至らなかったというエピソードも明かしています。地域独自の文化や人間関係が、個人の行動や経験に深く関わっていたことが伺えます。ヤンキー文化という側面から、当時の日本の社会状況や若者文化の一端が垣間見えます。
まとめ
お笑い芸人・赤プルさんは、中学時代の壮絶ないじめという困難に直面しながらも、不良仲間との出会いを通じて新たな居場所を見つけました。地元・茨城の独特なヤンキー文化の中で育まれた経験は、その後の彼女の人生、そして芸人としてのキャリアに大きな影響を与えたと言えるでしょう。真面目な優等生からヤンキー、そして人々を笑顔にする芸人へと転身した赤プルさんの歩みは、逆境を乗り越え、自己を確立していく一つの例として、多くの人に勇気と示唆を与えるストーリーです。
出典:Yahoo!ニュース / CHANTO WEB – 赤プルさん「楽しくグレた」壮絶中学時代…いじめで居場所失いヤンキーに救われた過去(1)
URL:https://news.yahoo.co.jp/articles/bbb1547af6422b4a24c20fe2986efc0de4516240