学校内暴力が過去最多に:なぜ「叱れない社会」が子どもを蝕むのか

文部科学省が2024年10月に公表した「児童生徒の問題行動・不登校等に関する調査」は、日本の教育現場における深刻な課題を浮き彫りにしています。全国の学校で発生した暴力行為の件数は12万8,859件と過去最多を記録し、前年比18.2%もの大幅な増加を見せました。特に小学校での暴力行為は8万2,997件(同18.6%増)と急増しており、子ども同士のトラブルだけでなく、教師に対する暴力も顕著になっています。この「不登校の増加」はメディアで頻繁に取り上げられる一方で、「暴力の右肩上がり」はその背景にある構造的な問題が十分に語られていません。多くの専門家や現場の声が指摘するのは、現代社会全体に広がる「叱れない構造」がこの問題の根底にあるという現状です。

処分文化が奪う教師の指導力:なぜ「叱れない」のか

現代の教師は、指導そのものよりも、その指導がどのように受け止められるかを過度に恐れている傾向にあります。強く注意しただけで「不適切指導」と認定されたり、軽い接触が「体罰」と見なされたりするケースが少なくありません。その一方で、子どもが教師を蹴ったり殴ったりしても、「発達特性」や「家庭事情」といった理由で、教師側が「黙って耐える」ことを求められる場面が多々あります。子どもの側には公式な責任が問われることがほとんどなく、この指導の不均衡が、学校現場における抑止力を著しく奪っています。

このような状況では、「大人は最後には謝るし、守ってもらえる」というメッセージが子どもたちに伝わり、教室から「これ以上はやってはいけない」という明確な線引きが消え去ってしまいます。本来、「叱る」という行為は、怒りをぶつけることではなく、「あなたにはもっと良くなる力がある」と信じ、あえて境界を示す教育的な行為です。それは、信頼を前提とした愛の一形態と言えるでしょう。しかし、今の学校制度は、この教育的な愛を「リスク」として扱ってしまいます。正当な指導を行った教師が処分されるのであれば、誰も深く踏み込むことはできません。信頼を土台とした教育は、踏み込む勇気と、それを支える確固たる仕組みがなければ成り立たないのです。

日本の学校における子どもたちの様子日本の学校における子どもたちの様子

成熟しきれない大人たち:家庭と社会が失う「境界線」

学校の外でも、同様の「叱れない構造」は存在します。公共の場で子どもが大声を出したり走り回ったりしていても、親がスマートフォンに目を落としたまま注意しない光景は珍しくありません。中には「自由」を誤解してあえて止めない親や、「物分かりの良い親」でありたいと願う親、あるいはそもそも子どもに無関心な親も見られます。「叱らない育児」や「個性尊重」という言葉が流行する中で、家庭内で「ここまではしてはいけない」という境界線を経験しないまま育つ子どもが増えていると、現場の教員は実感しています。

子どもは、他者との摩擦を通して社会性を学び、自己中心的な行動がもたらす影響を理解します。しかし、摩擦そのものを避ける大人のもとで育つと、子どもは「自分の欲求はいつでも最優先される」「相手が嫌がっても止める人はいない」と世界を誤解してしまいます。このような認識が、学校での突発的な暴力行為や言葉による攻撃性へと繋がるのです。社会全体が「叱る」ことの意味と重要性を見失い、子どもたちに健全な社会性を育むための「境界線」を示すことができていない現状が、現代の学校が直面する暴力問題の大きな要因となっています。

結論

日本の学校における暴力行為の増加は、単なるしつけ不足の問題に留まらず、教師が指導力を発揮できない教育制度、そして家庭や社会全体が「叱る」という教育的行為の本来の意味を見失っているという根深い問題を示唆しています。この悪循環を断ち切り、子どもたちが健全な社会性を育み、安心して学べる環境を取り戻すためには、教員への理解と支援を深めるとともに、親が果たすべき役割を再認識し、社会全体で「叱る」ことの重要性とその正しい実践方法について改めて議論し、行動することが不可欠です。私たち一人ひとりが、子どもたちの未来のために、この「叱れない社会」の構造と向き合う責任があります。

参考文献

  • 文部科学省「児童生徒の問題行動・不登校等に関する調査(2024年度)」
  • 東洋経済education × ICT 記事「学校内暴力が過去最多を記録…なぜ「叱れない社会」が子どもを蝕むのか」