人間だけでなく、大切な歴史的出来事まで忘れ去られることで、時代や国家も「ボケて」しまうことがある――。作家の五木寛之氏は、そうした国家のボケを防ぐ鍵が「記憶」にあると指摘する。本稿は、五木氏の著書『遊行期 オレたちはどうボケるか』から、ボケとは何か、そして物忘れといかに向き合うべきかについて語られた箇所を抜粋・編集したものである。
一般的に、私たちが「ボケ」と呼ぶ状態には、「物忘れ」と「徘徊などの行動の逸脱」という二つの様相が半分ずつ含まれていると考えられることが多い。しかし、関西地方では「どうしようもないやつ」を指して「このボケ!」と呼ぶ用例があるように、単なる物覚えの悪さではない意味合いで使われることもある。こうした背景から、「ボケ」という言葉が差別語に当たるのではないかという議論が起こり、公の場での使用が避けられる傾向にある。かつて「痴呆症」が「認知症」へと名称変更されたのも、同様の社会的配慮によるものだろう。
記憶喪失の種類と身近な「物忘れ」
ボケの代表的な症状とされるのが「物忘れ」だ。これは以前「健忘症」とも呼ばれた。健忘症は、新しく経験したことを思い出せない「前向性健忘」と、過去の出来事を思い出せない「逆行性健忘」の二つに大別される。例えば、前向性健忘は今日の昼食の内容を思い出せないこと、逆行性健忘は過去の特定の出来事(例えば終戦時どこで何をしていたか)が蘇ってこないことなどが挙げられる。
物忘れは高齢者に限らず、若い人にも起こりうる。編集者との会話で固有名詞が思い出せず、慌ててスマートフォンで調べるような経験は誰にでもあるだろう。顔や声、身振りまで鮮明に思い出せるのに、名前だけが出てこない。これは本当によくあることだ。喫茶店で女性たちが集まり、「ほら、あの人」「そうそう、あの人ね」「名前が出てこないのよ」「顔は浮かぶのに」と笑い合う光景は、まさにボケの入り口を示す一つの兆候と言えるかもしれない。
国家のボケを防ぐ鍵として語られる、1952年血のメーデー事件の様子を示す写真
「物忘れ」を放置しない重要性
高齢者にとって、物忘れはボケを意識する最初の段階だ。五木氏自身も物忘れが多く、「ボケの入り口に立っているのではないか」と感じることがあるという。こうした固有名詞などの記憶喪失が初歩的なボケの兆候だとしたら、それに対してどう対処するかが重要になる。「放っておく」ことが最も良くない。その場にいる全員が思い出せないから「まあ、いいか」と済ませてしまう人が多いが、物忘れは伝染するように、一人が思い出せないと言うと皆も思い出せなくなる傾向がある。
やはり、何とかして記憶を探し出す努力をするべきだ。自分で調べる、知っていそうな人に電話で尋ねるなど、執念深くきちんと情報を取り戻すことが大切である。「放置しない」というのは、現実的なボケ対策の一つの戦略と言えるだろう。
近い記憶と遠い記憶の特徴
年を重ねると、昨日の出来事や今朝の食事のおかずを忘れるといった直近の物忘れは頻繁に起こる。同時に、子供の頃の出来事などを思い出せない遠い時間の記憶喪失も存在する。興味深いのは、この二種類の記憶力が両立しない場合があるという点だ。五木氏が出会った高齢者や自身の経験から考えると、昔のことを非常によく覚えている人は今のことが曖昧になりがちで、逆に今の出来事についてシャープな人は若い頃の話が漠然としている傾向が見られるという。
記憶を定着させるための方法
曖昧になりがちな記憶を鮮明にするためには、自分の記憶を繰り返し他人に語ることが効果的だ。話すことで記憶が整理され、より明確に定着する手助けとなる。これは個人の物忘れ対策だけでなく、社会全体が過去の出来事を語り継ぐことで、歴史という集合的な記憶が薄れるのを防ぐことにも繋がるだろう。
参考文献
- 五木寛之『遊行期 オレたちはどうボケるか』(朝日新聞出版)より抜粋・編集