自民党の山崎拓元副総裁は29日のBSフジ番組で、中曽根康弘元首相の死去について「いつかこういうときがくるのは分かっていたが、惜別の情というか、長い間お世話になったので、思い出が走馬灯のようにめぐってきた」と述べた。
中曽根内閣で官房副長官を務めた山崎氏は「(中曽根氏は)『日米同盟堅持は外交安保の柱』と口を酸っぱくしていた。ナショナリズムをちゃんと持ち、同時に安保政策の現実をよくにらんで、適切にやられたと思う」と語った。
自民党の山崎拓元副総裁は29日のBSフジ番組で、中曽根康弘元首相の死去について「いつかこういうときがくるのは分かっていたが、惜別の情というか、長い間お世話になったので、思い出が走馬灯のようにめぐってきた」と述べた。
中曽根内閣で官房副長官を務めた山崎氏は「(中曽根氏は)『日米同盟堅持は外交安保の柱』と口を酸っぱくしていた。ナショナリズムをちゃんと持ち、同時に安保政策の現実をよくにらんで、適切にやられたと思う」と語った。