現代社会において、多くの人々が日々、絶え間ない情報と課題の中で「考えすぎ」に陥りがちです。仕事、人間関係、将来への不安など、多すぎる思考はストレスや不安の根本原因となり、心の平穏を奪い去ることが少なくありません。しかし、その「考える」という行為こそが、実はあらゆる苦しみの根源であると指摘する専門家がいます。ライフコーチでありビジネスコーチでもあるジョセフ・グエン氏は、著書『考えすぎない練習』の中で、不安や後悔のループから解放され、心の澄んだ状態を取り戻すための画期的なアプローチを提示しています。
意識的に「考える時間」を減らすことの重要性
私たちはしばしば、悩みが多いと感じると、そのことばかりを考え続けてしまいます。しかし、グエン氏によると、この「考えること(思考)」こそが、苦しみの最大の原因です。考えることを完全にやめるのは現実的ではありませんが、その「時間」を意識的に減らすことは可能です。日を追うごとに思考にとらわれる時間を少なくしていくことで、やがては1日の大半を幸せに満ちた状態で過ごせるようになります。
ここで重要なのは、「考え(thoughts)」と「考えること(the act of thinking)」を区別することです。多くの人が「考えるのをやめたい」と言う時、浮かんでくるすべての「考え」を止めたいと誤解しがちですが、私たちが目指すのはそうではありません。目標は、浮かんだ「考え」について「考えること(思考)」を最小限に抑え、「考え」が次々と自然に浮かんでは消えていく状態を受け入れることです。
考えることを最小限に抑える上で最も興味深い点は、それを意識するだけで、他には何も必要ないという逆説的な事実です。自分が今「考えている」という事実、そしてそれが苦しみの根本原因であると自覚するだけで、私たちは自然と思考にとらわれなくなり、思考を落ち着かせ、ただやり過ごすことができるようになります。ほとんど労力は必要ありません。純粋に「今、ここ」に心を置くことこそが、思考のループから抜け出す鍵となります。
考えすぎで悩む現代人の姿。多すぎる思考がストレスや不安を引き起こす様子を表す。
心の濁りを晴らす「泥水のボウル」の教訓
この概念をより深く理解するために、グエン氏のメンターが語るたとえ話を紹介しましょう。もしあなたが汚く濁った泥水の入ったボウルを渡され、「その水を澄んだ状態にするように」と言われたら、どうするでしょうか?
多くの人は、水を濾過したり煮沸したりといった方法を思い浮かべるかもしれません。しかし、泥水の入ったボウルをしばらく放っておくと、泥は自然と水の底に沈み始め、やがて水が澄んでくることに、意外にも多くの人が気づきません。
私たちの頭の働き方も、これと全く同じです。「濾過」や「煮沸」のように思考を無理に操作しようとせず、そのまま放っておけば、思考は自然に落ち着き、私たちの頭は思考の束縛から解放されます。水の自然な状態が澄んでいるように、私たちの頭の中の自然な状態も、自分自身で乱さない限り澄み切っているのです。
もし人生が不透明で混乱し、ストレスに満ちていると感じ、次に何をすべきかわからないと悩んでいるなら、それはあなたの思考が泥をかき回し、頭の中を濁らせて前を見えづらくさせているだけかもしれません。この状態こそが、あなたが「考えすぎている」ことの明確な指標として機能します。自分が考えていることしか感じられず、その「考えること」が不快な経験の根本原因であると意識できれば、その経験をあるがままに受け止めることができます。そして、思考に干渉しないことによって、心を落ち着かせ、少しずつ頭の中を澄んだ状態に戻す道筋が見えてくるでしょう。
結論:意識と静観がもたらす心の解放
ジョセフ・グエン氏の教えは、私たちが日々の生活で直面するストレスや不安の多くが、外部の出来事そのものよりも、「考えすぎ」という内面的なプロセスに起因していることを明確に示しています。思考を完全に排除することは不可能ですが、その思考と距離を置き、意識的に「考える時間」を減らすことで、私たちは心の平穏を取り戻すことができます。
泥水のたとえ話が示すように、私たちの心は本来、澄み切った状態です。思考という「泥」がかき混ぜられることで一時的に濁りますが、それを無理に「濾過」しようとせず、ただ静かに見守ることで、自然と澄み渡るのです。この自己認識と静観の練習こそが、現代社会において心の健康を保ち、より充実した人生を送るための重要な鍵となるでしょう。日本だけでなく世界中で多くの人々が共感し、実践できるこのシンプルなアプローチは、私たちが苦しみから解放され、内なる平和を見つけるための羅針盤となり得ます。
参考資料
- ジョセフ・グエン著、矢島麻里子訳『考えすぎない練習』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)





