京都市交通局のバス運転士が乗客の運賃約1000円を着服したとして懲戒免職となり、退職金約1211万円も全額不支給とされた処分を巡る訴訟で、最高裁判所は今年4月、退職金全額不支給処分を取り消した高裁判決を破棄しました。これにより、当該男性運転士側の逆転敗訴が確定した形です。インターネット上では「さすがに厳しすぎるのではないか」といった声も多く上がっています。この「京都市バス運転士の退職金不支給処分訴訟」について、「白ブリーフ判事」として知られる元裁判官の岡口基一氏が、自身の独自の見解を述べています。
たった1000円の着服で、なぜ退職金約1211万円がパーになったのか?
ほんの一時の気の迷い、つまり「魔が差した」行為であったとしても、乗客が支払ったわずか1000円程度の運賃を不適切に扱ったことによって、積み上げてきた約1211万円もの退職金を一瞬にして失うことになるとは、当事者である運転士も想像だにしなかったかもしれません。京都市交通局のバス運転士がこの退職金全額不支給の処分取り消しを求めて最高裁まで争った裁判では、高裁段階で、懲戒免職処分自体は適法であると認めつつも、退職金には給与の後払いや長年の勤労に対する功労報奨、さらには退職後の生活保障といった側面があることを考慮し、「全額不支給は社会通念上、妥当性を著しく欠く」として処分取り消しの判断を下していました。今回の最高裁の決定は、その高裁判決を覆す、「ちゃぶ台返し」とも言える展開となりました。
京都市バス運転士の退職金不支給訴訟に関連する法廷イメージ:木槌と法典
元裁判官が指摘する「裁量処分」のリスクと司法の役割の変化
岡口氏は自身の経験にも触れ、裁判官としての良心に従い、自らが考える正義を貫いた結果、裁判所当局の不評を買い、ついには弾劾裁判にかけられ、受け取れるはずだった退職金を失ったと述べています。しかし、それは自らの覚悟の上のことであり、ある意味「想定内」のペナルティだったと振り返ります。一方で、今回のバス運転士のケースは様相が異なります。そもそも退職金を支払うか否か、またその減額率などの判断は、バス運行を担う市の裁量に委ねられています。しかし、このような裁量処分には、決定者の恣意的な判断が入り込む余地が大きいというリスクが常に伴います。そのため、自身に非があることを認識していても、その代償があまりにも過酷であると感じた場合、司法の場に訴え、その適否を問う以外に道はありません。
裁量処分の適法性や妥当性を判断するために、裁判所はこれまでに多くの理論と判例を積み重ね、客観的かつ公平な審査を行うための強固な枠組みを築いてきました。しかし、その一方で、近年では行政とともに社会秩序を維持することをより重視する「秩序維持派」と呼ばれる裁判官が増加傾向にあり、本来、行政権力によって侵害されがちな国民の権利を守るという、司法が果たすべき最も重要な役割が後退しつつあるのもまた事実だと岡口氏は指摘します。司法の役割は、まさに国民の権利を行政から保護することにあるはずです。しかし、秩序維持派の裁判官たちの間には、そのような発想はほとんどなく、むしろ行政と協力して国家全体の秩序を維持することこそが司法の役割である、という考えが主流になっている現状がある、と岡口氏は懸念を示しています。
まとめ:1000円着服と1200万円退職金不支給の不均衡、そして司法の未来
今回の京都市バス運転士の退職金全額不支給を確定させた最高裁判決は、わずか1000円の着服という行為に対し、約1211万円もの退職金を全額失うという、一般感覚からすると極めて厳しい結果をもたらしました。高裁が「社会通念上妥当性を欠く」とした判断を最高裁が覆した背景には、元裁判官である岡口基一氏が指摘するように、司法の内部で「秩序維持」を行政との協調の中で優先する傾向が強まっている現実があるのかもしれません。この判決は、個人の軽微な過ちに対する制裁のあり方だけでなく、日本の司法が今後、国民の権利保護と社会秩序維持のバランスをどのように取っていくのか、という根源的な問題を改めて提起しています。
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