「最後の国鉄型特急電車」185系、全編成が歴史に幕を下ろす ~C1編成の旅立ちで一つの時代が終焉~

2024年6月18日夜、JR東日本に所属していた185系電車C1編成が、大宮の車両センターから長野方面へと回送されました。これは廃車を目的としたものとみられており、この動きによって、かつて日本の鉄道網を支えた国鉄型の特急型電車が、ついに全編成現役を退いたこととなります。長年にわたり多くの利用者に親しまれてきた185系の引退は、「最後の国鉄型特急電車」として一つの時代の終焉を告げる出来事です。

長野へ向かう最後の国鉄型特急電車185系C1編成長野へ向かう最後の国鉄型特急電車185系C1編成

185系の誕生とその特徴

185系は、1981年3月に営業運転を開始した国鉄(日本国有鉄道)が設計・製造した特急型電車です。当時の特急車両としては異例の、「特急」だけでなく「急行」や「普通」列車としても運用可能な汎用性の高い設計思想に基づいて開発されました。このため、普通車のドアは片側2箇所に設けられ、座席は回転式ではなく転換式クロスシート、窓も開閉可能とするなど、他の特急形車両(183系、485系など)とは異なる設備を備えていました。この設計思想は当初から生かされ、デビューと同時に急行「伊豆」での運用が開始されたほか、後年には普通列車としての運用も2013年まで存在しました。

東海道・東北・高崎線での活躍

最初に185系が投入されたのは、東海道本線系統です。急行「伊豆」に加え、特急「あまぎ」でも使用されました。これらの列車は、185系投入開始から半年後の1981年10月には、特急「踊り子」へと統合されています。また、1982年3月からは185系200番台が東北本線・高崎線での運用を開始。高崎線の急行列車に充当されたほか、同年6月からは大宮駅を発着していた東北・上越新幹線と接続する「新幹線リレー号」としても活躍しました。新幹線が上野駅まで延伸された1985年以降は、急行列車に代わる列車として設定された「新特急」の主力車両となりました。

世代交代と定期運用からの撤退

JR化後、2010年代に入ると、より新しい車両への置き換えが進められました。高崎線の特急からは2014年に651系の投入が始まり、2016年には上野駅を発着する定期運用が終了しました。東海道本線系統の特急「踊り子」でも、2020年からE257系の投入が始まり、翌2021年のダイヤ改正をもって185系の定期運用は完全に消滅しました。その後は主に臨時列車や団体専用列車として運行されてきましたが、一般旅客を乗せる臨時列車としては2024年7月、団体専用列車としても同年12月の運転をもって、全ての運用から離脱していました。

「最後の国鉄型特急」を巡る誤解と真実

国鉄型特急「電車」としては最後に残る車両として注目されていた185系ですが、「営業列車として最後に旅客を乗せた国鉄型特急電車」という点では、JR西日本の381系に軍配が上がります。「やくも」として運行されていた381系の一部編成が2024年度末年始期間に運用されたためです。また、185系や381系は「電車」ですが、国鉄型特急「車両」という枠組みで見ると、気動車(ディーゼルカー)であるJR四国やJR九州のキハ185系が現在も現役で活躍しており、これが厳密には「最後に残った国鉄型特急車両」となります。

長年にわたり、日本の主要な鉄道路線で特急、急行、そして普通列車としても活躍してきた185系。その全編成が運用を終えたことは、国鉄時代から続く一つの象徴的な存在が姿を消したことを意味します。「最後の国鉄型特急電車」として、鉄道ファンのみならず多くの人々の記憶に残る車両となるでしょう。

出典:Yahoo!ニュース / 鉄道コム