突然の難病…野球を奪われた高校球児、支え続けた家族とチームメイトの絆

ある日突然、原因不明の難病に見舞われ、愛する野球ができなくなった高校球児がいます。神奈川県の武相高校野球部に所属する小又旭陽くん(18)。彼の長く厳しい闘病生活を支えたのは、家族やチームメイトの深い愛情と絆でした。

小又旭陽くんは、二人兄弟の長男として生まれ、9歳から始めた野球に夢中でした。父の昌平さんは「毎日遅くまで練習し、頑張っている姿を見ていた」と語ります。甲子園出場を目指し、高校でも野球に打ち込む日々を送っていました。

しかし、2024年2月、高校2年生の冬、突然の異変に見舞われます。熱が出て下痢の症状が現れ、その後、足に力が入らなくなりました。症状は急速に進行し、緊急入院となりました。

母の恵さんが付き添い入院した夜、「じゃまた明日来るね」と会話を交わしたのが最後となりました。翌朝には人工呼吸器が装着され、会話も困難な状態に。医師からは「重症型の急性散在性脳脊髄炎(ADEM)の疑い」と診断されました。ウイルス感染などが引き金になる病気ですが、原因は特定されていません。

この病気の影響により、旭陽くんは現在、首から下を動かすことができません。長期間にわたる入院と闘病生活が続いています。

難病と闘う高校球児、小又旭陽くん。家族が見守る中でリハビリに励む姿。難病と闘う高校球児、小又旭陽くん。家族が見守る中でリハビリに励む姿。

父の昌平さんは「今の状態で完治できる病院はないかもしれないが、今後の医療の発展を期待したい。一緒に治してあげたい」と、息子への深い愛情と希望を口にします。母の恵さんは毎日のように病院に通い、旭陽くんが眠りにつくまでそばで見守っています。「気になってしょうがない」という恵さんは、旭陽くんの前では常に明るく前向きであろうと努めています。「それが旭陽にも少しでも伝えればいいかなって」と話します。

2024年夏の神奈川大会で、武相高校野球部は14年ぶりにベスト4に進出しました。スタンドの応援席には、入院中の旭陽くんのユニフォームが掲げられ、チームが彼とともに戦っていることを示しました。

突然の病に人生を大きく変えられてしまった旭陽くん。しかし、家族の献身的な支えと、チームメイトとの強い絆が、彼が困難な闘病生活を乗り越える大きな力となっています。未来の医療発展に希望を託し、一日も早い回復を願う日々が続いています。

[参考資料]