主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担う「シングル介護」。その現実は時に過酷を極め、「一線を越えそうになる」ほどの精神的・肉体的負担を強いられるケースも少なくありません。なぜこのような危機的状況が生まれるのか。本稿では、中部地方に住む七尾純子さん(仮名・60代)の事例を通して、シングル介護の壮絶な始まりと、そこに至るまでの家族の歩み、そして突然訪れた悲劇を描き、社会に警鐘を鳴らします。今回は、父親の急逝から母親の異変が始まるまでを追った前編です。
高齢者介護に悩む家族のイメージ写真
七尾純子さんの生い立ちと性格
七尾さんは、銀行員の父と食品メーカー勤務の母の間に生まれました。両親は母方の祖父が経営する会社への父の出入りを機に結婚。母は七尾さんを30歳で、弟をその5年後に出産しました。七尾さんの幼少期、父は仕事で多忙を極め、休日はゴルフのため、家では母、七尾さん、弟の3人で過ごすことが多く、まるで母子家庭のようでした。しかし、徒歩圏内に母の実家があり、頻繁に行き来していたため、寂しさを感じることはありませんでした。学校帰りには祖父母や従姉妹たちと夕食を囲むこともありました。
七尾さんは子供の頃から非常におとなしく、我慢強い性格でした。口数も少なく、中学生の頃にはいじめに遭い、学校に行かずに街をさまよって時間を潰した経験もあります。この我慢強さは、結婚後に「だいぶキツイ性格になった」と自覚するほど変化したといいます。
結婚後の家族関係と交流
高校卒業後、事務職に就いた七尾さんは、22歳で転職した小売業の会社で、25歳の時に出向してきた22歳の男性と出会い、社内恋愛を経て26歳で結婚。27歳で長男を、31歳で次男を出産しました。
七尾さんが結婚後、両親は母の実家近くに新居を構えた七尾さんの家を頻繁に訪れるようになりました。現役時代は仕事やゴルフでほとんど顔を合わせなかった父も、七尾さんの家に来ることはもちろん、父自らが運転して七尾さんの新居へ遊びに来ることが増えました。特に孫の誕生後は、学校行事やクリスマス、年末年始など、ことあるごとに駆けつけました。長男が熱を出したと聞けば、2時間かけて車で駆けつけるほどでした。息子たちが幼い頃は、家族で年に数回旅行に行くこともありました。
父親の突然の死
家族の温かい交流が続く中、2006年4月に突然の悲劇が訪れます。次男の中学校の入学式の1週間後の朝、父は免許更新に出かける前に洗車を終え、家に入った途端、玄関で倒れました。
大きな物音に気づいた母がすぐに救急車を呼びましたが、病院に運ばれた父は、医師から心筋梗塞と脳梗塞を併発しており、手の施しようがないと告げられました。母からの連絡で駆けつけた七尾さんが病院に着いた時には、父はすでに意識がなく、呼びかけにも反応しませんでした。そして約2時間後、父は74歳で息を引き取りました。突然の別れでした。
母親の異変の始まり
父の突然の死からしばらく経ち、母は85歳になった頃から、かつてとは違う様子を見せ始めます。七尾さんが実家に帰省すると、片付けができない母が散らかしたゴミが家中に散乱しているという、冒頭のような状況へと徐々に変化していったのです。これは、七尾さんが一人で母の介護と向き合うことになる、壮絶なシングル介護の始まりでした。