大学受験「文系・理系」選択の今、そして広がる「文理融合」の光と影

三田紀房氏の受験マンガ『ドラゴン桜2』に描かれる、現役東大生(文科二類)の視点から教育と受験のリアルを探る本連載。今回は、大学受験における大きな節目である「文系」「理系」という分類について、その現状と変化、そして未来について考察します。数学教師・柳鉄之介によるLINE計算バトルで、「文系だから」と弱音を吐く早瀬菜緒に対し、柳が「文系で不利というのは逃げ口上だ」と一喝するシーンは、日本の教育現場で長年議論されてきた文理の壁を象徴しています。

日本の公教育制度において、大学入試が文系と理系に大別されてきた歴史は長く、その違いを論じる風潮は根強く存在します。特に「文系<理系」といった比較や、「私文」という言葉が揶揄的に使われるような風潮は、SNSなどでも見られます。確かに、理系から文系へ進路を変更する「文転」は一定数存在しますが、これは単に興味や適性が変化した結果かもしれません。逆の「理転」も少数ながら存在します。本来、文系と理系に優劣は存在しないはずです。大学受験において、文理選択は志望校選びと同程度に非常に重要な決断となりますが、「数学が苦手だから文系」といった安易な理由での選択は、将来の可能性を狭めることになりかねません。難関大学では文系学部でも数学が必須となるケースは多く、高校段階での「できること」だけで将来を決めつけるのはもったいない考え方です。筆者自身、高校時代の担任から「あなたは抽象的な理念を大切にし、あえてあいまいさや余白を残す思考が得意だから、文系の考え方が合っている」と言われた経験があり、文理選択は「何が得意か」だけでなく、「普段どのように思考しているか」という視点も大切だと感じています。

大学受験の文理選択、「文系だから」と言い訳する生徒と指導する教師のドラゴン桜2のコマ大学受験の文理選択、「文系だから」と言い訳する生徒と指導する教師のドラゴン桜2のコマ

近年、この文系と理系の垣根が取り払われ、「文理融合」が進んでいます。慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の環境情報学部や総合政策学部は早くからその概念を取り入れてきましたし、東京大学は文理融合型新学部「UTokyo College of Design」の創設を発表しました。デジタル社会の進展に伴い、社会科学分野でも統計学やデータ分析が不可欠なツールとなり、2023年には一橋大学がソーシャル・データサイエンス学部を設置するなど、文系学部が理系的アプローチを取り入れる動きも活発です。

文理融合は、文系が理系に歩み寄る一方通行ではありません。科学技術が社会に浸透する現代において、自然科学分野でも人間社会のあり方や倫理的な課題を考察することが不可欠となっています。文理融合のメリットの一つは、受験生にとって予期せぬ学問分野との出会いを生む可能性です。例えば、東大理系を目指していた受験生が一橋大学ソーシャル・データサイエンス学部へ進学し、従来の枠組みでは得られなかった多様な視点や人脈を得る、といったケースが生まれています。

しかし、文理融合にはメリットばかりでなく、潜むリスクも存在します。筆者が危惧するのは、文理融合が「実学偏重」に繋がりかねないという点です。データサイエンスのように、直接的に社会や経済に利益をもたらすことが期待される分野に研究資金や人員が集中する傾向が生まれる可能性があります。一方で、統計学の基盤となる数学の発展や、「人間とは何か」を深く探求する哲学のように、実社会への直接的な貢献が見えにくい分野が軽視される恐れはないでしょうか。学問の根源的な問いや、長期的な視点での基礎研究が疎かになれば、学問全体の健全な発展が損なわれかねません。現代の教育体系における文系・理系の区別は、学問体系から見れば合理的な分類であり、文理融合を進めることは重要ですが、その根源をなす「文」と「理」それぞれの探求と充実を決して忘れてはならないのです。

出典: https://news.yahoo.co.jp/articles/55761997551eba3eb8afa35f5e940c7c305eee01