〈「愛していない女の子供はいらん」夫の浮気が原因で流産することに…40歳女性が「あまりにも冷淡な夫」に包丁を突きつけるまで(平成4年)〉 から続く
流産をきっかけに夫に不信を抱いた主婦。さらに口論の末、夫の胸に包丁を差してしまう……。ところが、彼女が夫にトドメを刺せなかった理由とは? 平成4年におきた事件の顛末を、事件サイト『事件備忘録』を運営する事件備忘録@中の人の新刊 『好きだったあなた 殺すしかなかった私』 (鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全4回の4回目/ 最初 から読む)
最後通牒
その夜午後11時ごろ、寝入っている夫の足元に忍び寄ったアヤ子は、その足首に自分のストッキングを巻き付け、きつく縛り上げたうえ、ガムテープで固定。そして台所から文化包丁を持ち出すと、茶の間のちゃぶ台の下に隠した。
「あんた、本当のこと言ってよ」
寝ぼけまなこの夫は、足を縛られていることに気づき「こんなことしやがって! もういい、俺はあの女と結婚する!」と喚いた。
さらに、アヤ子への罵詈雑言をつらね、もうアヤ子とは夫婦でいられないと、そればかりを繰り返した。
腹を決めていたはずのアヤ子だったが、やはり面と向かって別れる、そう言われると胸にこみあげるものがあった。それでも引っ込みがつかなくなったアヤ子は隠していた包丁を持ち出すと、夫に突き付けた。
悪かった、許してくれ、お前とやり直す──嘘でもいい、そう言ってほしかった。
しかし夫は、「殺すなら殺せ!」と開き直った。
夫は、私とやり直すよりも死んだほうがマシだというのか──そうまで言うなら叶えよう──アヤ子は夫の胸に、その包丁を突き立てた。
「愛してなかったら! 一緒になんか住んでいるものか!」
しかしアヤ子は思いとどまった。刺してはしまったが、とどめを刺すことはどうしてもできなかった。
夫はアヤ子に刺された直後、うめきながらもこう叫んだ。
「愛してなかったら! 一緒になんか住んでいるものか!」
アヤ子はその言葉にハッとしたのだという。これこそが、アヤ子の聞きたかった、ほしかった答えだった。
裁判では当然、夫の仕打ちは批難された。アヤ子が自分の意思で思いとどまり、救命したことなども酌量され、執行猶予となった。もっと言うと、この夫がアヤ子を許しているということも大きかった。
自分がひどい仕打ちをし続けたことが事の発端であるにもかかわらず、結果としてこの夫は被害者となり、さらには被害者が加害者を赦すという形になったことで、事情を知らない人からすればなんと懐の深い夫、という風にもなり得た。
アヤ子はといえば、裁判で執行猶予がついたところでなんの救いにもならなかった。夫に傷を負わせた以上、アヤ子は人殺しと呼ばれても仕方なかったし、その夫が望む望むまいにかかわらず、夫とは離婚に応じると言うしかなかった。