元TOKIO長瀬智也、解散後初の公の場 富士でレース2位「ダサい人間にはなりたくない」

「TOKIO」の元メンバーでミュージシャンの長瀬智也(46)が6日、静岡県の富士スピードウェイで開催された二輪ロードレースに出場し、レース後に報道陣の取材に応じた。先月25日にグループが解散を発表して以来、公の場に姿を見せるのは初めてのこと。長瀬はレースへの情熱やメディア露出の現状について語った一方、TOKIOの解散については言及しなかった。

富士スピードウェイでの熱戦、レースへの情熱を語る

長瀬は「CHALLENGER RACING」のTOMとして、愛車のハーレーダビッドソン パンアメリカを駆り、クラブマンロードレース今季第2戦のMax10クラスに参戦。終盤まで優勝争いを演じ、見事2位で表彰台に上がった。レース後、集まった報道陣に対し「気にかけて来てくれたことがうれしい」と感謝を述べ、「短い時間ですが、よろしくお願いします」と前置きした上で質問に答えた。

「寿命が縮む」覚悟とレースの現状

長瀬は、自身のモータースポーツにかける強い思いを激白した。「レース自体は寿命が縮むが、寿命が縮むという理由でやらない、ダサい人間にはなりたくない」と断言。モータースポーツのメディア露出減少を嘆きつつ、「なら、僕らがやるしかない。どこの世界もレースじゃないですか。危ないか、危なくないか。テレビはそれで人事異動がある、僕らはケガする。リスクはある」と、プロとして、あるいは人生における「リスク」についても言及した。

父から受け継いだ情熱、富士への思い

自身が過去に父がプロのライダーであったことを明かしている長瀬は、富士スピードウェイに特別な感情を抱いている。「僕の両親がレースをやっていて、僕が小さい頃に見た富士スピードウェイはお客さんが入っていた」と幼い頃の記憶を語り、「いろいろあって、親父と同じ場所にいるというのは説明できない何かがあるような気がします」と、親子二代にわたるサーキットでの経験に感慨深げだった。

モータースポーツ振興への意欲

再びモータースポーツのメディア露出減少に触れ、「なら、僕らがやるしかない」と語気を強めた長瀬。「自分たちのクラスの人が増えて、テレビで番組をやってもらうのが夢」と、単なる競技者としてだけでなく、レース文化の啓発活動にも貢献したいとの意欲を示した。

2025年クラブマンロードレース第2戦で2位に入り、富士スピードウェイの表彰台でシャンパンを手に笑顔を見せる長瀬智也2025年クラブマンロードレース第2戦で2位に入り、富士スピードウェイの表彰台でシャンパンを手に笑顔を見せる長瀬智也

TOKIOの解散背景と長瀬の現在

一方で、注目の集まっていたTOKIOの解散について、長瀬が言及することはなかった。主催者側からは、事前にTOKIOに関する質問があった場合は取材を中断するとの通達が出ていたという。

TOKIOは、国分太一(50)のコンプライアンス違反による無期限活動休止を受け、株式会社TOKIOが先月25日に「城島茂、松岡昌宏、国分太一をメンバーとするグループ『TOKIO』は、本日をもって解散することにいたしました」と発表し、31年の歴史に幕を閉じた。国分が社長を務めていたTOKIO-BAの閉園も同時に発表されている。

長瀬は2023年3月をもってTOKIOを脱退し、ジャニーズ事務所(当時)も退所している。松岡昌宏は先月27日の取材で、長瀬や元メンバーの山口達也氏には解散の連絡をしていないとし、「おそらくそれぞれの目線で、この現状は見ていると思います」と話していた。長瀬は現在、バンド「Kode Talkers」での音楽活動(ボーカル、ギター)に加え、バイクチームに所属してレース活動を続けている。

表彰台での喜びとレース文化への願い

表彰台に上がった長瀬は、シャンパンボトルを手に満面の笑みを見せた。「ここに上がれることもうれしいですが、皆さんが来てくれることが一番うれしい。いつまでも皆さんとサーキットで遊びたいと思っています」と、集まった観客やファンに感謝。「日本にもこういうレースがあるんだぞということを我々の活動で認識してもらいたい」と、改めて国内モータースポーツへの関心を呼びかけた。

TOKIOは1994年に5人組でデビュー。NHK紅白歌合戦に24回出場するなど国民的グループとして活躍したが、2018年の山口達也さんの脱退、そして今回の国分の問題を受けて即座に解散を決定した。

TOKIO解散発表後、初めて公の場に姿を見せた長瀬智也は、自身のバイクレース活動に焦点を当てて語った。富士スピードウェイでのレースで2位という結果を残しつつ、ファンへの感謝、そしてモータースポーツの現状と将来に対する熱い思いを表明。グループを離れた長瀬の新たな道は、自身が心から愛するレースの世界へと続いている。彼の今後の活動、特にモータースポーツ振興への貢献が注目される。