現場前のビルでクリニックを営み、安倍氏の救命活動に携わった中岡伸悟さん(67)は3年たった今も、医師としてできることは何かを考え続けている。
「安倍さんが撃たれた」「先生、行ってあげて」。2022年7月8日午前11時半すぎ、患者の家族が必死に叫ぶ声が診察室に聞こえた。現場に駆けつけると、安倍氏は青ざめた顔で呼吸はなく、瞳孔が開いていた。指の爪の付け根をつねっても反応がない。出血もひどいことが推察され、「危険な状態だ」と感じた。
クリニックにあったAED(自動体外式除細動器)を使おうとしたが、心停止状態だったためか作動せず、輸血用の設備はなかった。「救急車がすぐに来るはず。今できることを」と、心臓マッサージの状況を見守った。
奈良市消防局によると、救急車が到着したのは、事件発生の約10分後だった。救急隊員に容体を伝える間もなく、安倍氏が搬送されるのを「奇跡が起きてくれ」と祈りつつ見送った。だが、その夜に亡くなったことを聞いた。
救急車の到着に10分かかると分かっていれば、気管挿管して気道を確保できたのではないか。救急隊員と話ができていれば、容体の緊急性を正確に伝えられたかもしれない――。事件後、自問自答を繰り返している。
通勤時に車で現場の前を通ると、安倍氏の姿が脳裏に浮かぶ。「誰がいつ悲惨な状況に遭うかは分からない。緊急時に適切な治療ができるように、救急隊との迅速な情報共有や救命装置の充実に努めたい」と話す。