政治家の失言とそれに続く謝罪は枚挙にいとまがないものの、自民党の鶴保庸介参議院議員が2025年の非改選期にもかかわらず行った言動と謝罪は、特に人々の記憶に悪しき印象として残り続けるでしょう。当選5回、永年在職議員の表彰も受けたベテラン議員が見せた、ときに薄ら笑いを浮かべるような謝罪の態度には、さらに批判が殺到しました。この一連の出来事における鶴保議員の謝罪に欠けていたものについて、臨床心理士の岡村美奈氏が分析します。
失言の経緯と発言内容
鶴保庸介参院議員は、参院予算委員長の辞任願を提出し、7月14日に受理されました。この辞任は、参院選の応援演説のため7月8日に和歌山市で開かれた集会において、「運のいいことに能登で地震があったでしょ」と発言したことが原因です。この発言は、辞任が当然視されるほどに問題視されましたが、その後の彼の謝罪会見を見ると、辞任の判断すら遅すぎるという印象を与えます。
問題の失言は、「二地域居住」の推進について語る中で飛び出しました。能登半島地震の被災者が、緊急避難的に居住地域以外でも住民票を取得できるようになった状況を指し、「やればできるじゃないかという話になった。チャンスです」と、にこやかな顔で述べたのです。しかし、被災者にとっては、決して「運のいいチャンス」などではありません。彼の頭の中には、自身が進める政策の実現のみがあったと推測されます。
「珠洲市」を「たま」と呼称:被災地への無関心
鶴保議員の被災地に対する関心の薄さは、地名を正しく覚えていなかったことからも明らかです。「能登で地震があって、上の方であったのは、輪島だとか、たま…、なんだっけ」と言葉に詰まり、左手を上に挙げて方向を示そうとした場面もありました。「たま」は被害の大きかった石川県珠洲市を指していると考えられます。普段から被災地や被災者に寄り添うと公言する議員が、被害を受けた主要な市の名前すら覚えていない事実は、被災地への関心が希薄であるという印象を拭い去れません。この発言は、被災者への配慮が完全に欠如している証拠として、大きな批判の対象となりました。
批判殺到後の謝罪会見:不適切な態度の詳細
批判が相次いだことを受け、鶴保議員は同日深夜にコメントを発表し発言を撤回。翌9日には記者会見を開きましたが、その内容は「お粗末」と評さざるを得ないものでした。「陳謝以外にありません」と視線を落とし、しおらしい表情で謝罪の言葉を口にしましたが、この姿勢を見せたのはごく一時的でした。会見場にだらだらとした足取りで現れ、謝罪する人間の立ち居振る舞いとはかけ離れていました。椅子には浅く腰掛け、すぐに背もたれにもたれかかる姿勢。会見開始直前には、胸元からペンを取り出し、持参した紙に「被災地訪問」とメモする姿も確認されました。これら全ての行動は、謝罪の場にふさわしいものではありませんでした。
鶴保庸介議員の謝罪会見:和歌山県庁での一礼
松岡昌宏氏との比較に見る「謝罪の質」の差
鶴保議員の謝罪姿勢のひどさは、元TOKIOの松岡昌宏氏が、国分太一氏のコンプライアンス違反による番組降板を受け、会見を行った際の振る舞いと比較するとより明確になります。松岡氏は背筋を伸ばし、謝罪の言葉を述べるたびに被っていた帽子を脱いで頭を深く下げました。一方、鶴保議員は自身の失言であるにもかかわらず、「被災地への配慮が足りなかったと言われれば、まったくその通りで」と他人事のように述べ、口元を真一文字に結んだものの、頭を下げることはありませんでした。さらに、「思った発言ではない」「被災地への思いは変わらない」と、飄々とした表情で淡々と語る話し方や声のトーンには強さも重みもなく、被災地への真摯な思いは全く伝わってきませんでした。
結び
鶴保庸介議員の一連の失言と謝罪会見は、公職にある者が国民に対して示すべき誠実さや共感がいかに欠如していたかを浮き彫りにしました。特に、被災地の現状を軽んじるかのような発言は許されるものではなく、その後の謝罪においても、態度や言動から反省の念がほとんど伝わらなかったことは、政治家としての資質が問われる深刻な問題です。臨床心理士の分析が示すように、真の謝罪には言葉だけでなく、行動や表情、そして何よりも相手への深い配慮と共感が必要不可欠です。今回の事例は、公人が発する言葉の重みと、それに対する責任の果たし方について、改めて社会に問いを投げかけるものとなりました。
参考資料
- 時事通信フォト
- Yahoo!ニュース (ニュースポストセブン)
- NEWSポストセブン