日産、象徴的「追浜工場」生産終了へ 国内拠点集約と再建の道筋

日産自動車は、長年にわたり日本のモータリゼーションを牽引してきた神奈川県横須賀市にある追浜工場での生産を2027年度末に終了すると発表しました。これは、同社の国内生産体制の再編と事業再建に向けた象徴的な一歩となります。創業の地である神奈川県内の生産拠点がなくなることは、日産にとって大きな転換点と言えるでしょう。

エスピノーサ社長の「苦渋の決断」と23年ぶりの国内工場閉鎖

日産自動車は15日、追浜工場に加え、平塚市にある日産車体湘南工場での生産も2026年度末までに終了すると正式に発表しました。記者会見に臨んだエスピノーサ社長は、「非常に痛みを伴う決断だった。しかし、持続的な成長に戻るためには避けては通れない」と、今回の構造改革が苦渋のものであったことを強調しました。国内工場の閉鎖は、カルロス・ゴーン元社長体制下の2001年に村山工場が閉鎖されて以来、およそ四半世紀ぶりとなります。今回のリストラにより、日産の国内工場は現在の5拠点から、九州の2工場と栃木工場の計3工場に集約されることになります。

モータリゼーションを支えた追浜工場の歴史と現状

日産追浜工場の全景。同工場は2027年度末に生産終了が予定されている。日産追浜工場の全景。同工場は2027年度末に生産終了が予定されている。

追浜工場は1961年に操業を開始し、日産、ひいては日本の自動車産業の発展を象徴する主力生産拠点として、長きにわたりその歴史を刻んできました。かつては名車「ブルーバード」をはじめ、「マーチ」や「キューブ」といった多くの人気車種がこの工場から全国、そして世界へと送り出されました。また、電気自動車の先駆けである初代「リーフ」も追浜で生産されたことでも知られています。現在は「ノート」や「ノートオーラ」といった主力モデルを生産していますが、従業員はおよそ2400人を擁し、年間24万台の生産能力を持つにもかかわらず、販売不振により稼働率は46%にまで落ち込んでいました。広大な敷地内には研究施設や走行実験施設、専用埠頭も備わっており、エスピノーサ社長は工場以外の施設については引き続き使用し、工場跡地の売却を進める方針を示しています。

日産車体湘南工場の閉鎖と生産拠点再編の狙い

一方、閉鎖が決定した日産車体の湘南工場では、主に商用車などが生産されていましたが、こちらの稼働率も32%と低迷していました。今回の措置により、日産は本社を置く神奈川県から生産拠点を全てなくすことになります。日産が目指すのは、生産能力が高く、電気自動車(EV)や次世代生産技術の導入を進める九州の2工場と栃木工場という3つの主要工場の稼働率を大幅に向上させることです。これにより、現在の販売台数水準でも十分な利益を生み出せる、より効率的な生産体制への転換を図り、グローバルな競争力を強化していく考えです。

日産が下した今回の「苦渋の決断」は、収益体質の改善と持続的な成長に向けた不可避のステップであり、国内生産拠点の合理化を通じて、同社の再建を加速させる重要な一手となります。


参考文献:

  • TBS NEWS DIG Powered by JNN. (2024年7月19日). 日産が追浜工場の生産終了へ、再起の条件とは. Yahoo!ニュース.